人種差別主義者と似た統治体。大群衆は「統治体の忠実な奴隷級」―(リンカーンより) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

邪悪なものの邪悪さは徹底しています。金太郎飴のようにどこを切ってもその邪悪さは顔を出すのです。

 

「リンカーン」は2012年のスピルバーグ監督作品でアカデミー主演男優賞と美術賞を獲得しました。

 

個人的には大変退屈な作品でした。映画の主眼は合衆国憲法修正13条を可決するための与野党の票争いを克明に描いたものです。修正13条とは

第1節 奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない。ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とするときを除く。

第2節 議会はこの修正条項を適切な法律によって実行させる権限を有する。

というものです。

 

南北戦争開始時の1862年にリンカーンが「奴隷解放宣言」をしたことはつとに有名ですが、実はこれは法的に確立したものではなく戦時における緊急措置のようなものでした。実際南部ではその宣言は無視されましたし、北軍でも十分解放されたわけではありません。そこでリンカーンは「奴隷解放」を戦争に勝つための一方策ではなく、南北戦争が終了しても永久に奴隷制度をなくすために憲法で明文化することを目指します。しかしこの道は険しく、上院で通過しても下院で否決されたのでその法案は通りません。

 

しかも戦争が始まって4年も経って北軍が優位に立つと憲法に明示しなくてもいいのではないかという機運が高まっている中で、リンカーンは奴隷解放に反対する議員を様々な懐柔策を使って篭絡していきます。

 

最終的に修正13条は可決されます。

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ではこの修正13条があったにもかかわらずいまだに黒人差別が深刻な問題であり続ける理由は何でしょうか。この修正13条には次の言葉があるからです。

「ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とするときを除く。」

 

この言葉は「犯罪者に対しては罰を与えることを正当化する」ということで表面的には何の問題のないように思えるのですが、「奴隷解放」という文脈の中での一文です。そこで人種差別主義者はこの文言を使って、黒人を「犯罪者」に仕立て上げるように画策するようになっていきます。

 

そこで証拠の隠滅、でっち上げ、理由の後付けなどなどが行なわれ、その「犯罪」に対して処罰をするようになっていきます。記憶に新しい「Black Lives Matter」運動も当時の警察官が、無抵抗な黒人ジョージ・フロイドをしめあげ殺しましたが、フロイドには前科・前歴、服役経験もあり、おそらく逮捕の際には些少なことであってもあそこまでの暴行を働いたのもそれなりの容疑があったと主張するのです。

 

さらに黒人差別を正当化するジム・クロウ法が、修正13条可決の20年後に南部諸州で1876年に制定され、1964年まで続きました。

 

それでもアメリカでは修正13条以降も黒人保護のための法律が次々と可決されています。

 

これとまったく同じことをしているのが統治体なのです。

 

彼らはまず「背教」の定義を行いましたが、それは霊魂不滅だとか三位一体というレベルの問題ではなく、統治体の権威を高めるための教えを否定することなのです。

 

 

①1914年は異邦人の時の終わりと天における神の王国の設立・・・キリストの臨在を印づける年になった。

②14万4,000人のクリスチャンだけが天的な報いを受ける。

この回答が1986年であるということはすでにレイモンドフランズの「良心の危機」は出版されており、その中で1914年の教理の持つ矛盾は指摘されている。つまり1914年の教理は、1986年の時点でそのほころびを露呈しており、その根拠の脆弱性は知る人ぞ知るというものだった。

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1914年の教理を主要教理にしたのはそれと似ている。その責任を免れることはできない。ここで統治体は墓穴を掘ったのである。思慮を全く欠いていた。

重なる二つの世代の教理も組織が1914年に固執した結果、キリストの言葉を歪めなければならなくなったのである。極論すれば、まさにキ リ ス ト も 聖 書 も 信 じ な く て も 組 織 の 言 う こ と を 受 け 入 れ て い れ ば 背 教 者 に な ら な い で す む のである。たとえ信仰がなくても、そういう素振りを示していれば特権はもらえる。た1914年の教理を主要教理に据えるという背景にある精神はそういう意識を培わせるのである。

 

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まず「背教」を定義し、そして疑問を持つ人をすべて「背教者扱い」するのは、修正13条の「犯罪者」に仕立て上げようとする行為に似ています。そして「背教者」は「犯罪者」なのですから、完全忌避という非人間的行為をしても良いというのは、黒人相手なら何をしても良いというのと同じです。

 

修正13条が聖書、組織の出版物がジム・クロウ法、統治体が差別扇動家、南部諸州がエホバの証人信者の対型となっているのです。

 

特に統治体のえげつないところは、「背教者」の定義を広め、次々にそのカテゴリーに押し込め、さらに罰を強化するところです。「背教者と親しくするものも背教者」だとか「長老に楯突くものは背教者」と言って、無理やり“罪人”を作り出すところです。これは些細なことでも先入観に基づいて黒人の息の根を止める差別主義者と同じなのです。

 

たとえばかつては排斥者とは崇拝行為だけは家族内でも共に行えないとはいえ、そのほか旅行や親しい交わりは問題視されませんでした。つまり「忌避行為」は崇拝に関連するものだけにとどめていましたが、今は完全忌避をしています。

 

しかも本来法律というのは遡及効果はないものです。つまり新たに設けられた法律はその法律以前の犯罪には適用されません。例外は殺人行為への時効廃止法です。この法律は2010年に制定されました。それまでは15年で時効が成立していましたが、2010年以前の犯罪でもこれは適用されたのです。

 

一方統治体は過去の排斥者にも適用するのです、後付け理由をするのです。まるで「背教者」は「殺人犯」のような扱いです。えぐいやり方です。それは組織を離れて30年たつ女性が、絶縁宣言されたのを見てもわかります。

 

黒人差別を禁止する法律がいくら成立しても、差別主義者の心は変わらないので、その法律をかいくぐるためにますます陰険な方法をとる人間がいるように、統治体も、奴隷級という人種は、背教者という“人種”を痛めつけるためには何を言っても許されると考えています。そのために陰険な方法を取るのです。統治体が、余程自分たちに異議を唱える人間に対し憎悪感情を抱いているかがよくわかりますが、それに異議を唱えないのが日本支部なのです。陰険であることを悟らせないために、反動として笑顔を絶やさないのです。犯罪者が慈善活動をするのと同じです。

 

統治体の笑顔は、その悪辣で醜い姿を隠すための微笑みであり、羊の皮をかぶった狼らしく振る舞っているのです。ジェフリー・ジャクソンが豪州王立委員会で述べた組織改善の誓いは果たして守られているでしょうか。当時よりも自分の神である腹をますます大きくしているジャクソンが、その誓いを果たすべく努力している様子は見られません。というのも組織の締め付けはますます強くなっているからです。この意味でジャクソンは嘘をつきました。支部委員が嘘を吐くのも統治体に倣っているだけです。

 

奴隷解放に反対した人は奴隷を所有物と見なしているように、「奴隷級」と自称するものは大群衆を所有物と見なしているというところから、彼らは「奴隷級」ではなく「主人級」です。真に「忠実な奴隷級」は大群衆です。思慮深いかどうかはわかりませんけどね。

 

統治体は「所有物」である大群衆を解放することを望んでいない点で、差別主義者と同じ特徴を有しています。大群衆は彼らの潤沢な生活を維持する道具にすぎないのです。