小室圭夫妻のアメリカでのプライバシーがさっそく天下にさらされています。
既に一般人となった夫妻に対し旧皇族というだけの理由でまるで公人のような扱いをしてもいいという錯覚を抱いている人が多いですね。
眞子さんはとにかく皇族であることが嫌だったのです。基本的人権が保障されていない皇族で監視社会の中にいて、政治的発言すら許されない立場なども含め、自由に恋愛もできず、周囲の期待に沿うだけの人生を考えると抜け出したかったのでしょう。
そのためには上皇后陛下のお気持ちを悲しませることでさぞかし心を痛めながらも、自分がそのままでは壊れてしまうと思われたのでしょう。同じ環境にいても順応できる人もいればそうでない人もいます。
皇族がもっと多くいればもう少し自由だったもしれませんが、地球上で100人にも満たない世界を想像するとその気持ちは察するに余りありません。
それを何もかも自由で、恋愛も結婚も離婚も自由な一般人が、あれこれ批判していますが、随分身勝手な話です。その背後にあるのは日本の皇室に対する思い入れもあるのでしょう。
ただやはり自分と同じ次元で考えるのは心が狭いですね。
真に皇室ややんごとなき方々に対する尊崇の念があれば、この件はもう触れてはならないことです。小室夫妻に対する批判は、結局のところ今の皇室の方々の心を痛めることにまで思いが至らないのでしょうが、それは皇室への忠誠心の暴走としか言いようがありません。
その人たちは日本の威信を小室夫妻が傷つけたと言って憤慨しているのでしょうが、すでに小室夫妻に対しての今なお続く批判はさらに日本の威信を傷つけていることに気が付いていないようです。
ダイアナ妃の一挙手一投足を報じ、結局は死に追いやったパパラッチがイギリス王室を貶めたのと同じような感覚で小室夫妻へのパパラッチ行為を正当化するような人間たちは皇室をそのレベルまで貶めているのです。
ましてや小室圭氏の不幸を願うかのような人もいるのにはあきれ返ります。
日本の皇室とイギリスの王室は異なるのです。