病休ということで「バラエティ笑百科」に出なくなりました。出演していても最後の方はべかこに司会を任せており、最近全く姿をお見掛けすることもなかったので「あゝついに」という思いですね。
仁鶴全盛の頃は三枝(現文枝)と人気を二分し、私の友人同士でも仁鶴派と三枝派に分かれていました。「どなかな~」は今なら流行語大賞ものでしょう。当時は吉本新喜劇では花紀京、岡八郎が花形でしたね。漫才ではやすしきよしが独走していました。仁鶴はピンで笑いを取りましたがいずれにも劣りませんでした。
落語も上手で、好きだった演目は「道具屋」と「崇徳院」ですね。
全盛期の頃のものです。
熟年期のものです。
仁鶴は朝日放送の「ヤングリクエスト」で、深夜0時を回ることに「頭のマッサージ」というコーナーを週一で担当していました。その「早口言葉」のコーナーで私の投稿が採用され、なんとヤンリクノートが当たりました。
とても立派な装丁のもので届いた次の日に学校へ持っていくと、盗まれてしまいました。今思い返しても悔しい思い出ですね(笑)。
松鶴よりも米朝よりも好きでしたね。