厳格な規則に対する遵法精神が信頼関係を維持する―それが世間の常識、当たり前のこと。 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

 

 

長年の努力がたった1回の軽い気持ちで水泡に帰すのは何とも気の毒ではあります。それでもルールはルール。酷なようですが仕方ないことです。

 

「こんなことくらい」の意識がアーチェリーに携わる人たちの信頼を損なうものとなりました。

 

他の選手の弓具に触ることが、厳禁されているのにその規則を軽く見たわけですが、ここで非常に大きな教訓があります。

 

おそらく長谷川選手には悪気もなかったとは信じたいです。それでも厳格な処分が下されたのが信頼を損なうということになるのです。

 

「信頼し合っているのだから多少の規則違反くらい大目に見ろよ。」と思う人もいるかもしれません。しかし信頼しているからこそ規則を遵守しなければならないのです。規則は信頼していない証拠ではなく信頼しているからこそあるのです。

 

商取引でも商法というのがあってそれを守るからこそ健全な商法委が行なわれるのです。なあなあなれ合いでその場の気分で行われるものは決して信頼関係を築くものではないのです。

 

国家間の問題も同じです。国際法というものがあってそのルールに従うのが主権国家同士の信頼関係を築くものです。口約束だけで実行しなければ信頼関係など吹っ飛びます。日韓関係で韓国が度重なるルール破りをしているので韓国は信頼できないのです。常に日本から金をせびれると思い、合意不履行をします。また自衛隊機へのレーダー照射などは完全にルール違反ですが、そういう事も平気でします。韓国のしていることは長谷川選手が「俺は何もしてない、冤罪だ、触っただけだ、パラリンピック出場資格はく奪なんて許せない、この野郎」というようなものですね。

 

男性教師が女生徒に手を出すことがしばしば問題になります。そこでその規則に違反するものには処分が下されます。これも信頼を崩さないためです。「教師だからそんなことをするわけはない。」というのが信頼ではありません。また信頼しているので多少のことは大目に見ろというのも道理にかなっているわけではなりません。

 

おそらく男性教師であるならば少なからぬ人はそういった倫理観を持っているでしょうが、しかしそれと自信の欲望と戦っている人もいるでしょう。部活のコーチと部員の関係もそうです。

 

ただ周囲がそういう倫理観を持たない場合、自分の欲望に負けてしまう人もいるでしょう。

 

エホバの証人にしても、1世2世を問わず長老という立場にいながらも、女性を物色してジゴロのような人生を歩んでいた人もいますが、、組織のことを批判する前に、自分のそういう人間として信頼を持つに足るだけのことをしていなかったことを恥じるべきでしょう。そういう2世のなんと多いことか。それも「宗教2世」という名目で他人のせいにするのでしょうか。

 

エホバの証人の規則やルールを全否定する人が多いですが、確かにどうでもよいことまで規制するのはどうかと思いますが、しかし評価すべき基準やルールもあるのです。それまでも否定するのは結局は全否定でDaiGoのようなものです。

 

コロナ禍で集会に集えない様子を見て嘲笑う人もいます。しかし現在の日本における感染爆発をもたらしたのは、多くの人が緊急事態宣言が出ているのにもかかわらず、自分勝手に出歩くからでしょう。

 

もともとエホバの証人は浮かれ騒ぎや泥酔を禁じています。また「上なる権威に従う」という教えは政府や自治体の緊急事態宣言に従うことでしょう。路上飲みや大声をあげて遊びに興じることはないでしょう。つまりこの面に限って言えばもし日本人全体がエホバの証人であるならばここまでの感染爆発はしなかったことでしょう。というかとっくの昔に鎮火していたはずです。

 

元JWは盲目になっているかもしれませんが、多くの元2世がどれほど訴えても世間が思ったほど耳を傾けてくれないのは、誠実なJWたちがそういう倫理面での知恵と規律を守る姿勢を有しているからです。それまでも無差別に激しく攻撃するのでいつの間にか自分たちが悪者になっているのです。