謝罪の仕方ーひろゆきバージョン | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

 

 

ひろゆき氏は「やってる人を見たことがないんですけど、ひたすら謝り続けるパターンが、僕はうまくいくんじゃないかと思っていて。基本的に、みんな『謝罪します』って動画を、1回2回上げて終わるんですけど。毎日謝罪放送をし続けると、たぶん2週間くらいでそんなに文句を言う人がいなくなると思うんですよね。決められた時間に謝罪配信をすれば、企画を考えなくていいから難しくない。だから“質より量”で謝った方がいいんじゃないかと思います」と、助言した。

 

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これに「譲歩を促す最終手段、それは泣き落とし。相手の心に罪悪感を生み、やがて譲歩を引き出せる。ポイントは相手の予想を上回るように、少しオーバーに泣くこと」を加えれば鉄板かな。

 

二週間毎日決まった時刻に泣き落とし。

 

ひろゆきが同じニオイがするというのは間違ってなかったですね。もう少しましかと思ったんですけどね。謝罪に対してこういう言葉が出るのは、相手の気持ちに寄り添えない証拠です。こういうところもサイコパスの条件にかなっています。

 

それにしても「やってる人を見たことがない」(笑)というのは自分の提案が非現実的だということを理解しているということ。このような回答をすること自体が質問者に寄り添えていません。もしこの質問者がDaiGoならば、ひろゆきはからかっているようなものですね。たぶんそうかな。


 

要は二人とも謝罪の仕方を知らないということです。

 

質より量と言っていますが、DaiGoの謝罪はその質が悪かったのです。ひろゆきにはその質というものが理解できないからこういう発言をするのです。ですからひろゆきは質と量の区別ができないのです。


河村たかしとか張本勲と同じですね。