私の見た限り最低最悪の開閉会式でした。同じアジアの北京を10とすれば1か2の演出でした。開会式直後に書いた記事と合わせて書きます。
↓式典総括をしたのはこの人物です。
サブカル脳の限界ですね。この人たちの文化は閉ざされたコミュニティでしか通用しません。四畳半で楽しむ文化であり、代々舞台での演出の仕方がわからないのです。その能力の限界を超えるからです。なぜ映画監督とかを任命しなかったのでしょうか。組織委員会に全責任があります。
【開会式】
赤いロープは神経を表しているとか解説聞いてもわかりません。そもそもなぜ神経を表す必要があるのでしょうか。
白装束のゾンビみたいなキモい人の登場のあとで黙とうって怖すぎます。
大工の法被を着た人たちの乱舞も踊っている人だけが喜んでいるものです。提灯もそうですし、タップダンサーも退屈でした。とくに有名な人が出たわけではありません。秩序が全くありません。
日本の名所とか、歴史とか、祭りとかが全くなく、サブカル脳のイメージだけで自己満足の演出です。あれなら東北三大祭り、祇園祭や、岸和田だんじり祭など神輿でも引いた方がよほどましです。
国名プラカードは漫画の吹き出し。ふざけすぎてますね。舐めきっています。日本人は漫画が世界文化で、通用すると思っているのでしょう。サブカル脳ですね。韓国は旭日旗に似ていると抗議しないのでしょうか。
イスラエル選手団の入場を見ていました。彼らは小林賢太郎の発言を聞いた後ですので、かなり複雑だったと思いますね。
ドイツは自国コックと日の丸を両手に持って入場するのがうれしかったですね。たぶんドイツだけでした。(これは閉会式もそうでした。)
入場したアスリートを客席に座らせずアリーナに立たせっぱなしっというのもどうかとおもいます。疲れますよ。座り込んでいる人もいます。選手たちには立派な衣装を身にまとっている人もいてるのでまったく思い遣りがありません。
全く秩序もなくダラダラ感が強すぎます。秩序がほとんどないだらしない開会式です。そうだらしなさ。それこそがサブカルであり、堕落した日本の象徴です。
唯一感心したのはドローンで作り出した地球です。でもその直後にイマジンを流す感覚。なぜ日本の歌を使わない。ロンドンオリンピックではないのです。「上を向いて歩こう」でも流せばいいのに(これ閉会式で実現しましたね。)
にしても橋本聖子にしてもバッハ会長にしても話長いなあ。後ろで飛び跳ねている連中なんとかしろよ。それに説教するなよ。まあオリンピック開催の正当性を訴えたかったんでしょうけどね。
テレビクルーを模したパフォーマーたちは邪魔でした。ただただ滑稽でした。
1964年の東京オリンピックの入場曲と比べれば格段に劣ります。
(閉会式で使われました。「上を向いて歩こう」と1964年のオリンピックマーチのことは開会式直後に書いたもので、二つとも閉会式で使われるとはね。まあ後だしじゃんけんですが、アップしておけばよかった。)
開会式は期待外れでした。日本の質の悪さだけを世界に印象付けました。
観客は10000人でも入れるべきでした。無観客は失敗です。感染が怖い人は家にいればいいのです。無観客にしたので用のない人間が街に出歩いているのです。有観客は直行直帰に心がけるし、人流が怖い人は家にいます。
大好評のピクトグラムですが、あれにしても新国立競技場という極めて大きな舞台で行うには不向きです。競技場内の大画面でアップするから受けたもののわずか数人の演出は箱庭演出で、それもまた大きな幅広い演出ができないサブカル文化なのです。
海老蔵にしてもピアノ演奏にしても一人のパフォーマンスに焦点を当てた演出は、例えば北京大会の数千人の一糸乱れぬマスゲームのような演出に比べれば大金をつぎ込むには値せず、その金が電通に流れただけでした。マスゲームと言えば貧困にあえぐ北朝鮮の方が数十倍も優れています。
そういう価値観がわからぬ箱庭演出が、サブカル文化の特徴であり、それは陳腐な聖火台にも表れていました。まるで富士山の噴火を願っている不吉な演出でもあります。聖火点灯が大坂なおみというのはどうなんでしょうか。実際に五輪に出場する選手を起用するなど、プレイに対する集中力をそぐものだと考えなかったのでしょうか。プレッシャーを与えることに気付かないのでしょうか。組織委員会の軽薄さがよく出ています。
復興五輪ということですが東北らしさを感じさせるものはあの竿灯祭りのような提灯でしょうか。天皇陛下も「祝い」という言葉を使わなかったのに、祭りの雰囲気を出すだなんてコンセプトがバラバラです。それより東北がどのように復興したかを映像で見せるとか、模型でも作って会場全体に並べるとか、そんな演出ができないのでしょうか。160億もの費用はどこに使われたのでしょうか。酷暑の開催がNBCの利権がらみだということで文句を言っている人もいますが、電通の利権の絡み方を知りたいですね。
【閉会式】
まあこの演出チームに任せるとロクなものにならないことは予期していましたがそのとおりでした。良かったのはオリンピックマーチが流れるのと光の粒が五輪を描くところまででした。
日本選手団の中に陸上リレーチームの姿見えなかった気がします。リオでは誇らしく閉会式に出ていただけに可哀想でした。
例によってだらしないパフォーマーたちの踊りは見るに耐えません。新体操やアーティスティックスイミングなどの統制の取れた演技を見た後だけにだらしなさが際立ちました。BMXなどはオリンピック選手に比べたら稚拙でよくもまあ選手たちの前で恥ずかしげもなくできるものだなと思いました。
あとワカメゾンビみたいな黙とうダンス。黙とうなのになぜ踊るの?怖いだけです。
あと太鼓叩きも一人でした。全体に一人の人間に焦点を充てる演出はあれだけ大きな舞台では不向きです。
さらに突如各地の祭りを映すのですがいずれも退屈なものです。しかも暗い。そしていきなり東京音頭で盆踊り。外国人選手たちはステージを見ていませんでした。一緒になって踊る人は少数でした。つまり完全に浮いていたのです。どうせ盆踊りをするならば、周りを取り囲んでいるボランティア全員が輪になって踊れば外国人選手たちも入っていけるのに、そういう大規模演出ができず、狭いステージの上だけで浴衣を着た人だけが踊っているのでは選手は参加できません。外国人選手に浴衣をプレゼントし一緒に踊ればいいものを。これも四畳半でしか演出できない視野の狭いサブカル脳だからでしょう。
橋本聖子はなぜ説教する?ただただ感謝すればいいのではないでしょうか。バッハの演説が終わるころには選手たちはスカスカでした。
そして大竹しのぶがなぜ今ここに?たとえば日本アカデミー賞主演女優賞の長沢まさみならまだわかります。さらに子供を使うあざとい方法。何もかも発想が単純です。
パリ五輪のデモビデオは洗練されていました。フランスの密状態を見ればどうして日本で無観客で開催されたのか世界は不思議に思うでしょう。
音楽担当をまかされた小山田圭吾は実は気が進まなかったとか、自己満足で祖国愛のない日置みたいな人に演出を任せるとこうなるのです。佐々木の渡辺ピッグという発案もこういう土壌が生み出したものだということです。
その大役に誇りを持てる人を起用しなかった組織委員会に最大の責任があるのです。