人を見る目もない古市憲寿と小山田圭吾の人間性 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

 

 

社会学者の古市憲寿さん(36)が20日、自身のツイッターを更新。”正義の暴走”が「いくつもの不幸な事件を生んできた」などと持論を展開した。  「死ぬまで(もしくは死んでも)誰かを許さない社会は、やっぱり違う。何かの理由があるとして、糾弾し続けるのは違う」と社会の在り方に一石を投じた。  続いて「実際『正義』の暴走は、いくつもの不幸な事件を生んできた。『あなた』は新しく誰かが傷ついたり、死んだりするのを見たいのだろうか。そうではない社会の変え方というのもあるよね」と意味深に持論を発信した。  古市さんは19日の投稿で、東京五輪開会式の楽曲を担当し、辞任したミュージシャンの小山田圭吾が、過去の雑誌でいじめ行為を披露していたことに言及。ツイッター利用者からの「どのようにお考えなのか」という問いに「そもそも『いじめ』という言葉がよくないと思う」「『いじめ』のような形で加害者を糾弾するのは反対」と私見を述べていた。

 

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完全にずれた見解です。正義の暴走ではなく、正しく行使された正義です。誰も死ぬまで許さないとまでは思っていないでしょう。ただ五輪憲章を反映しない精神の持ち主である小山田圭吾の楽曲が開閉会式で流れた場合皆が喜べるかという問題です。ただでさえ選手は肩身の狭い思いをしているのに、さらに傷を塩で塗るような批判材料を提供した小山田の楽曲が「五輪で流れる」ことを許さないだけです。これは木村花さんバッシングとは全く異なるものです。もしそれと同一視しているならば古市も場合分けができない知性の持ち主だということです。

 

また過去の過ちを成人して本当に謝罪しているインタビューならまだしもそれを楽しんでいるかのようなインタビューを人々は許せないのでしょう。つまり反省を数十年間しなかったからです。小山田は小山田の居場所で活動をするのまで許していないわけではありません。ただ五輪は小山田の居場所ではないということです。古市は五輪憲章を読んだうえで私見を述べるべきです。

 

ただ小山田の場合その人間性の劣悪さはこの件だけにはとどまらない情報もあります。それはすでに同級生いじめを自慢気に語ることで示されており、あの記事を読んでそれを見抜けない古市は人を見る目がないのです。

 

 

 

実は問題となったいじめ自慢インタビューのほかにも、小山田には〝前科〟があった。1996年発売の「月刊ギグス」2月号(シンコーミュージック・エンタテイメント)のインタビューで、「フリッパーズ・ギター」としてデビューする直前の出来事として、入院した時の話をしていた。友人と一緒になって病室でギターを弾いて騒いでいたという。 「ふたりとも寝ないから、夜中にガンガンやってると、癌の末期患者の人とかの呻き声が『ウーッ』とかって聞こえて来る(笑)」と、なぜか末期がんの人を笑う。  さらに、「機械につながってるんだよ、そういう人とかって。『ピーン、ピーン』とかいう機械みたいなのがあって、夜中に『ピー!』とかって音が反応するの(笑)。それで『ああ、今日もまたひとり死んだ』とか言って(笑)。『夜中にあんたたちがギター弾いているからだ』って看護婦さんに怒られた(笑)」と死の瞬間も笑っていたという。  小山田はこのエピソードを「心暖まる話だよね」と語りだす露悪性も発揮していた。いじめや障がい者差別ではないが、高齢者や病気の人へのいたわりはない。

 

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これってサイコパス?

 

古市自身はあまりスポーツに関心がないようですし、昨年冬に五輪が中止になると思って五輪グッズを大量購入していたようです。「とくダネ!」で小倉智昭が言っていました。古市は苦笑していただけです。あとで売ろうとしていたのかもしれません。ですから古市から見ればこの騒動がばかげたものに映るのでしょうが、世の中にはスポーツに命をかけている人もいるので、そういう人に思いはせることができないのは古市も小山田と似たところがあるのかもしれません。「そもそも『いじめ』という言葉がよくないと思う」「『いじめ』のような形で加害者を糾弾するのは反対」というのはイジメ肯定論であり、イジメ加害者の用いる論理です。常習的犯罪者は自分たちのしていることを反省することないですからね。