エホバの証人を辞めなかった理由の一つとして。 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

私の場合自分のいた会衆で正規開拓をしているときは肉体労働で、さて果たしてこんな仕事をしていて将来身体が持つだろうかという不安がありました。当時はパートナー2世も同じ仕事をしていて「これは楽園までの一時的なものだ」と言っていましたし、まあハルマゲドンが近いのでそれもそうかと思っていました。

 

そんな状態で必要の大きな会衆に出た最初の会衆で就いた仕事は地元にいた時よりももっと効率の悪い仕事でした。給料も半分くらいになりました。それこそ爪に火を点すような生活で、将来への不安はますます大きくなりました。国民年金も免除申請を出していました。

 

ところがその時の巡回監督から同じ巡回区でもっと必要の大きななところがあるのでそこへ行くように提案されました。協会から任命を受けた会衆はわずか半年余りで新しい会衆へ移ったのですが、丁度私が行くことでトコロテン方式でその会衆にいた長老が別の会衆へ移ることになりました。巡回監督は元々そちらが所期の目的だったようです。

 

そこでその長老に仕事を紹介され、結局それを契機に仕事のノウハウをつかむようになりました。そしてさらにまた新しい会衆に移ったときに、仕事にも大きな転機が訪れるようになりました。過去の職歴がここで花を開き、安定した収入を得るようになりました。

 

私は支部委員が嘘を吐いたことや脱税教唆の疑いなどなど、組織への距離感を感じていましたので、組織側から見ればやや扱いにくい人間になっていました。勿論会衆内の一般信者には理解を示す人が多くいましたが、いざ組織が私を問題児扱いするようになると、そういう人たちも組織の側に付きます。

 

しかし私としてはそれこそ聖書で培った良心に従っていたので良心的には何ら呵責などはありませんでした。ここで区別しておきますが、鈴木大君事件の時に支部委員が「輸血拒否は良心の問題だ。」といいましたが、それは「聖書で培った良心」ではなくて「組織の教えで培った良心」です。

 

つまり「聖書で培った良心」と「組織の教えで培った良心」が対立した場合、「聖書で培った良心」に従うというのが「人間よりも神に従う」という使徒たちの活動の聖句に基づく指針であるということを理解していたので、「支部委員が嘘をついた」ことや「課税から逃れるための調整」に対して批判したとしても、それで神の祝福を受けないはずがないと思っていました。

 

仕事が安定したのはその結果だと思っていました。たとえ組織の中で孤立したとしても聖書的に間違っていなければ問題がないのは、すでにナアマンの記録でも実証されています。彼は異教の女王に仕えていましたが心は神を崇拝していて、それを神は祝福されたのです。

 

数多くの非聖書的なことをしでかしている日本支部に何の疑問も持たず唯々諾々としたがって、長老ごっこをしている無責任な人間たちに神の祝福が下るはずがないという意味では冷ややかに見ていました。

 

勿論、組織に従順に従う人もそれなりの収入を得ている人もいますので、今になんて見れば私の見方が正しかったとは思えません。ただ言えるのは組織にいることで職を得た人にしてみれば、やはりそれを神の祝福だと思う心理は理解できます。

 

ある人はベテル建設に携わり、ずぶの素人がそこで建設関係の技術を学び、ベテルを出た後で会社を作りました。そしてその会社にやとわれた人が独立したということもあります。RBCに参加した人が、建設の腕を見込まれ雇われた人もいます。ボードやクロス、塗装などの技術を学ぶからです。

 

こういった人たちがそれを「エホバのおかげだ」と思う心理も理解できます。ですからエホバの証人の現役で生活が安定し、人間関係も良い人であるならば、多少組織の偽善を目撃しても組織にとどまるのはよく理解できます。それは決してロボットとは言えないでしょう。普通の人間のありようです。組織から離れて毎日組織のあら捜しをしている人の心の荒み具合を見れば、彼らは離れた人間の心のようにはなりたくないと思うでしょう。