「反社会的」という言葉を私が使ったことへの桶検証部の指摘について。 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

桶検証部は私のアカウントをツィッターのアカウントにし、そして私を誹謗中傷しています。こういうやり方を思いつく人間性は実に卑劣です。正義太郎の時にもまして、あまりにもひどいやり方については私も容赦できません。そして実際実名中傷や名誉棄損、盗撮中傷などのルール違反などの行為をしているロゴスさんやディアマンテさんのことを私を攻撃することによって不問にしようとする、もしくは悪をもみ消そうとする統治体さながらの姿勢にも大いに疑問があります。統治体は自分たちの悪行を隠すためにひたすら“世”を攻撃しているからです。桶検証部はその骨の髄まで統治体の精神態度に倣っています。やり方が全く同じなのです。

 

私がここで桶検証部の批判に反論することで、ディアマンテさんはさぞかし私に対して憤ることでしょうが、これらはすべて桶検証部がトリガーを引いたのでありディアマンテさんはそのすべての責任が桶検証部にあると理解してください。桶検証部が私のアカウントをなりすますような卑劣な真似をしなければ生じなかったことです。

 

桶検証部は私がディアマンテさんを反社会的だと言ったことを取り上げました。ではこの件について検証します。

 

〇ディアマンテさんやアンチエホバの証人過激派グループの反社会性について。

まず反社会について共通認識を持ちたいと思います。一言でいうと「社会の常識や習慣に反するさま」を指します。くれぐれも断っておきますが私はディアマンテさんを反社会的“勢力”とは言っていません。別にディアマンテさんが暴力団だとも言っていません。あくまでも反社会的と言っておりその反社会的というのは「社会の常識とか習慣に反する様」という定義に従って書いています。この意味では私のアカウントをそのまま使用する桶検証部もまた反社会的と言っていいでしょう。

 

私は医師ではないので断定も診断もできませんが、ソシオパスという言葉があります。

https://www.msn.com/ja-jp/health/healthy-lifestyle/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E8%BA%AB%E8%BF%91%E3%81%AB%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%82%82%EF%BC%9F%E3%80%8C%E5%8F%8D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%80%A7%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%A0%BC%E7%89%B9%E6%80%A713/ar-BBOd180

特徴としてあげられているのは次のようなものです。

  • 社会のルールを無視する
  • 犯罪的な行動を取り、法律的なトラブルを起こす
  • 傲慢
  • 不正直(何度も嘘をつく、偽名を使うなど)
  • 自分の利益や楽しみのために、ほかの人をだます
  • 衝動的で、前もって計画できない
  • 怒りっぽい、敵対的、興奮性
  • 攻撃的(身体的な喧嘩を繰り返すなど)
  • 虐待する関係をもつ
  • マイナスの結果から学ぶことができない
  • 安全性を無謀なまでに顧みない
  • ひとつの仕事を維持できない、または経済的な義務を引き受けない
  • 自責の念がない

 

これらのいくつかにアンチエホバの証人過激派グループは該当するように見えます。裁判所の召喚を無視したりすることは法律上のトラブルを起こしています。何かにつけて、やれ立件だというのもある種の脅迫です。実名中傷、盗撮中傷、プライバシーの侵害など社会のルールを無視すること、名誉棄損などの犯罪行為、裏垢で攻撃したり捨てHNなどの偽名を使ったりしています。これは事実なのです。公判で相手長老が偽証していないのに、「偽証した」というならそれはウソです。ロゴスさんの傲慢さはもう飛びぬけています。「刺し違えたい」と言ったロゴスさんや「桶の横っ面をひっぱたいてやりたい」と言った正義太郎などのまさに攻撃な態度、怒りっぽさ、敵対的態度、興奮性なども該当します。中野っちさんのヒステリックなことを好む姿勢もまたそうです。複数アカウントを使って別人を装うのはまさにだましているといっていいでしょう。

 

ネットで憎い相手を実名で中傷するのは虐待です。また自分の社会的立場を危うくするかもしれないことをブログで綴るのは、安全性を無謀なまでにかえりみていません。削除や排斥などのマイナスの結果から学ぶことのできない態度、そして自分たちのしていることへの自責の念がないのです。他人のアカウントパクリをしている桶検証部はこれに該当します。

 

繰り返しますが、私は精神鑑定をする資格はないので、断定はしませんし、あくまでもその容疑があるということです。リアルでのそれぞれを知りませんし、ネットでのHNで示される「作られたキャラ」がどこまでその人の真実を示しているかはわかりません。

 

さらにですが、ディアマンテさんは奉仕中のエホバの証人を撮影した写真を知人から借り、奉仕をしている人たちを誹謗中傷しました。これに関してディアマンテさんは桶証券部のツィートに対するコメントで「目線を入れているから大丈夫」だと述べました。

 

さてこの表現の「大丈夫」だというのは何が大丈夫なのでしょうか。法令違反にならないということでしょうが。でも裏を返せば、「目線を入れなければ問題になる」ということを認識しての発言です。

 

「バレなければいい。」という考え方そのものに反社会性はないのでしょうか。電車内での痴漢冤罪事件で、実際に被害者が存在する場合「加害者」は確かに存在するのです。無実の人が冤罪を着せられ、その冤罪が晴らされたとしても、加害者はいるのです。で、その加害者は「バレなきゃいい。」と思っているのです。これは女性の下着盗撮もそうです。「バレなければいい。」という考えですが、その行為自体への反省はありません。罪の意識はあってもその行為を続けるところに反社会性はあるといっていいでしょう。目線を入れれば問題ないという考え方もその一つです。

 

このような考え方をする人であるならば、既婚者であるにもかかわらず、独身女性と親密なメール交換をしたのも「バレなきゃいい」と思っていたのではないでしょうか、という疑問が生じます。「バレなきゃいい」と思っていたとしたらもはや完全に冤罪主張は覆ります。自分でその行為が悪いと思って続けていたのですから。そしてその女性を恨んでいるのも「バラしたから」ではないでしょうか。この辺りの経緯はわかりませんが、ディアマンテさんが示している考え方は、「あのメール交換での長老削除もそうかな」と周囲が思うだけのことを提供しています。

 

マイドラさんが、鈴木氏への「人殺し」発言記事に対して私は強く抗議しました。マイドラさんはどうやら不本意ながらもその記事を削除した時に、ディアマンテさんは「非常に残念だ」とコメントしていました。そしてこの時に「名誉棄損は親告罪なので、被害者の訴えがなければ問題ない。第三者があれこれ言うべき問題ではない。」とコメントしていました。

 

つまりディアマンテさんの主張は「親告罪だから本人の訴えががないなら、いくら名誉棄損してもいい。」という考えです。痴漢も親告罪ですが、では本人の訴えがなければ無問題だと言えるでしょうか。鈴木氏がマイドラさんの記事を読んだかどうかわかりません。もし読まないで、ご自身の知らないところで名誉棄損されているのでしたら、盗撮被害に遭っている女性も自分の知らない時には訴えることができないのと同様、訴えることもできません。だからと言って何をしてもいいというわけではないはずです。しかしディアマンテさんは、親告罪をタテにその行為を容認しました。さらにもし仮に鈴木氏が名誉棄損で訴えたときに、マイドラさんは不利な立場に立つことになります。ディアマンテさんがマイドラさんの御友人であるなら、マイドラさんがそのような目に遭ってもよいというのでしょうか。

 

会衆内の長老の扱いを冤罪だとして、一般社会の常識的判断に委ねようと思って、訴訟したのにもかかわらず、敗訴したのに、結審してから被告側が偽証罪を犯したかのように誹謗中傷を続けるのは社会常識を逸脱していることにならないでしょうか。

 

複数アカウントを使うことについては以前に記事にしています。

「複数ハンドルネームを使うことに関する見解」

https://ameblo.jp/1-drop-in-the-tub/entry-11977042101.html

 

この時ディアマンテさんは趣味のブログもあり、それが何が悪いと反論していましたが、私もそれは全く無問題と思います。しかしディアマンテさんの複数アカウントとは他の人、例えば私などを集中攻撃し、いかにも多くの人がそう思っているかのように印象操作をするために使います。

 

次にですが、ディアマンテさんの書いた記事「悪評流しその1」(2018年4月27日)によると、ディアマンテさんの友人Aさんがオフ会で知り合った現役女性Bさんでトラブルがあり、そしてその女性が相談したCさんが絡みました。これに関しては私は何があったのか知らないのですが、ディアマンテさんは痛く立腹していました。ディアマンテさんを含め4人で会合し、一応手打ちをしたようですが、それでは終わらなかったようで、何やらその後ももめたようです。詳細はわからないので、この件はここまでにしますし、特にあれこれ言うつもりはないのですが、この時ディアマンテさんは次のように書いています。

 

Bの問題点は「以後互いについては悪く言わないと和解していながらいまだに悪評吹聴している。」

 

ではディアマンテさん自身はいかがですか。裁判という個人の話し合いのレベルを超え、日本国内で最も公正さを期待せざるを得ないシステムを使って自説の正当性を主張したのに、敗訴しました。にもかかわらず被告側長老が偽証罪を犯したかのように誹謗しています。裁判でケリがついたのにいまだに相手の悪評吹聴しているのはいかがなものでしょうか。

 

私個人としては、裁判で敗訴になっても、ディアマンテさんはやるだけやったし、戦いをしたことは満足だったようなことを書いていたので、それなりによくやったなあとは思っています。そしてもう過去のいざこざにとらわれることなく、陽気な生活を徐々に取り戻していかれることを期待していました。それだけに残念です。

 

また協会に手紙を送るのは好きなだけすればいいのですが、その文言はネットスラングを多用していることから見て、とてもじゃないですが正式な抗議文とは言えないでしょう。ほとんど伝聞情報による抗議ですから相手にされないのは当然です。西宮の王国会館が「廃業」とか全く関係のないことですが、街を歩いているよからぬ人間が何かにつけてインネンをつけるさまと似ています。糾弾というものではなく、難癖というレベルです。

 

またマイナスドライバーさんは一般人の次の記事を引用して記事にしたことがあります。

https://www.religio.jp/jw-blog/

この中で自分の名前が挙がっていないので「もう少し頑張らないといけない」と言っていました。マイドラさんは「やばい」と言われたがっているのです。

 

またディアマンテさんは自分が毒を吐いていることを上記の記事で指摘されていましたが、もっと頑張ると書いていました。「やばい」と言われることをますます目指しているのです。

 

あくまでもみなさんの記事をそのまま整理しているだけですが、その限りでは反社会性を存分に発揮しているだけのことはあると思われても仕方ないのではありませんか。