個人VS個人という五輪原点の姿―小平選手に見る「武士の魂」1 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

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「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

小平選手のレース後の李選手への思いやりが世界を感動させている。平昌五輪最高の名場面であり、長く語り継がれるシーンだろう。中には「勝者の余裕」と穿った見方をする人もいるかもしれないが、あの抱擁よりもむしろ小平がオリンピックレコードを更新した直後に、歓喜の声を上げる応援席に向かって、右人差し指を口に当て「シーッ」という仕草こそが、小平選手の本質がよく表れている。小平選手はそのしぐさの直後、右手でスタートラインの方向へ注意を促した。決してこれ見よがしではない、さりげない動作の先には李選手がスタートの位置決めをしていた。小平選手の「フェアな試合」というのは異常な雰囲気の中で、李選手が自分を見失ってほしくないという気持ちの表れだろう。


その二日前にフィギュア男子シングルSPで羽生選手が圧巻の演技をした後、プーさん雨の降りしきる中、やはり異常な雰囲気の中であるいは平静さを失ったネイサン・チェン選手が、ありえない失敗を続けてしまい沈没してしまった。FSでの最高演技を見るにつけ実力はネイサン・チェンが金メダルだったはずである。4年前のソチ五輪でもフィギュア女子シングルでも最終滑走者である浅田真央選手は直前の地元ロシアのソトニコワ選手の高得点で歓喜に湧き上がる観客の興奮の中で演技をしなければならなかった。滑走順が逆で冷静な中での演技ならばまた違った結果になったかもしれない。「氷」という物理的要素が絡んでいるので、選手のメンタルが非常に大きいというのを痛感するのはスピードスケートもフィギュアスケートも同じだろう。少しのバランス配分で転倒はいつでもありうるからだ。


だからこそ小平選手の「シー」はひときわ輝くのである。応援団はその応援によって選手を勝たせようとする。したがって応援団がリンクに異常な興奮状態を作り出すのは悪いことではない。むしろ正しい。その応援によって相手のメンタルを狂わそうとしているからだ。しかし小平選手はそういう外部的要因による「勝利」を望んでいなかった。できる限り公平な状態で「勝負」をしたかったのである。これこそ小平選手が李選手をリスペクトしている何よりの証拠だ。まだこの時点でメダルは確定しなかったので「勝者の余裕」などでは決してない。


取りざたされているのは、この名場面ばかりだが、同じようなシーンはフィギュア男子シングルの直後でも見られた。それは羽生選手と銅メダルを獲得したフェルナンデス選手が繰り返し、繰り返し抱擁したことだった。羽生選手は同じ日本人の宇野選手よりも数倍フェルナンデス選手と抱擁していた。羽生もフェルナンデスも同じコーチブライアント・オーサーの指導の下、共に厳しい練習に耐え続けたせいもあるのだろう。共に苦労を知っている者同士だからこそ喜びを分かち合えるのだろう。 


李選手は「小平に負けても悔しいとは思わない」と言った。普段から共に交流し互いのことを思いやるエピソードを披露した。銀だったならば罪人になるかもしれない。」
と精神的に追い詰められていた李選手を真っ先に慰めたのは同国人ではなく、小平選手の「私はあなたをリスペクトしている」という言葉だった。


そしてその小平選手がかぶったカラフルな被り物はオランダ応援団が、「1位」の選手に贈るものだそうだ。小平選手がオランダ留学までしたのだから、単なる「儀式」ではなく、本当に祝福してくれたのだろう。


大会前、日韓は政治的には最悪の感情の中で始まった平昌五輪だったが、国際問題などをよそに互いに尊重し合うアスリートたちが、国家の違いや歴史問題などでいがみ合うことがいかにばかげたことであるかを示してくれた。そのような「文化」の違いで、相手を全否定することがいかに愚かであるかを示してくれた。