日本国中にある大手ショッピングモールには「お客様からのアンケート」コーナーみたいなものがある。どの店舗でも私はそれを読む。そこでは言いがかりとも思える「苦情」みたいなものもあれば、子供の手による文字のものもあれば、よく観察しているという批判もある。「ゲームコーナーに○○のゲームを置いてほしい。」とかいうカワイイ要求もあれば、「△△の売り場の店員が目を合わせなかったが、接客態度がなっていない。」とかもあれば「駐車場の白線が消えかかっているので駐車しにくい。」とか「非常口付近に店舗の商品の箱が積んである。」がある。スタッフの中の特定個人に対する批判もあれば、安全性に気付かせるものものある。
スタッフはどれに対しても丁寧に回答しているし、一部の顧客の好みによる要望は「検討」材料にする一方、安全面で優先されるべき苦情は素早く対処している。感心することが多く、こんなところからも社会の一員としてのスキルを学習できる。
ここで一部の顧客の好みによる要望というのが自分の都合優先の「幼児視点」による幼児思考から出た「批判」であり、全体の安全に対する批判とは同じ批判でも全く異なる「大人視点」の種類のものである。
この区別ができず、すべての批判を「わずらわしい」ものだと一緒くたにするならば、批判の識別ができないことになり、その原因は批判された側が「幼児思考」であるからだ。幼児にとってみれば60㎞のボールも150㎞の速球もバットを振ってもかすりもしないからだ。
確かに「幼児的思考」のWT組織の指示や助言はその偏狭的精神に辟易とするものだが、それであらゆる批判をすべて退け、一方では自分は組織全否定の批判精神を崩さないなら、もう典型的な身勝手な幼児だと言えるだろう。そのような態度でいるならば結局社会に出ても上司や顧客から批判されるたびごとに「被害者」面をするしかなくなり不満が絶えない日々を送ることになるわけだ。とどのつまり自らの傲慢さと駄々っ子ぶりだけが鮮明になっていくだけだ。
自分が批判されるとすぐに相手を「組織と同じだ。」という人がいうのは、「幼児から出る批判」と「大人から与えられる批判」の識別力がないことを物語っているに過ぎない。そういう幼児思考者の言葉はWT組織と同様偏狭な視野を持った人間を育てるだろう。「せっかく組織から出たならば」というのであるならば、ただ単に物理的に出るだけはなく、そういった「幼児思考」から出なければならず、逆に「幼児思考」から出ているならば、物理的に集会や大会に交わっていても安定した日々を送ることができるだろう。