全能者の憂鬱 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

 

相棒シーズン8最終回SPの主題が「神の憂鬱」というものだった。(脚本は相棒シリーズ珠玉のエピソードであるボーダーラインを書いた櫻井武晴氏である。)それは顔認証システムにより、すべての人の動向を監視するというもので、それを監視する側が「自分が神になったかのような気がする」というようなことを述べていた。そしてそのシステムゆえに知り得た秘密で苦しむという物語だった。


他の人の秘密を知るというのは何やら好奇心がそそられ魅惑的である。有名人のブログなどのアカウントを盗み出して個人の秘密を知ろうとする人が時々つかまっているのはそういう好奇心が高じたものだ。でも実際は知らない方が良かったと思えることは多々ある。たとえばブログでは何やら正義感に燃え、高潔であるようなことを書いていても、別アカウントでは攻撃用ブログなどを用意し使い分けるような真似をする人がいるとしたらどうだろうか。


 友人や信頼している人、尊敬している人、そして愛する人の表の顔と裏の顔を知ったときにその落差に愕然とし人間不信に陥ることもよくある話だが、これなんかも全肯定全否定思考の持ち主が陥るものである。なんとかみつをではないが「それもありだよ、人間だもの」くらいの度量があればいいのだが、なかなかそうもいかない。正直裏切られた気がして心が重くなる。


 秘密を知ったときにそれで苦しみ、誰かにそれを吐露したいという気持ちも理解できる。一方で秘密を知ったことで相手の弱みを握り脅迫まがいのことをする人もいる。


 とかく秘密を知ることは悩ましい。


 さて改めて思うのだが、全能者は個人個人の裏表すべてを知っているとするならば、どう思うだろう。 多かれ少なかれすべての人間の持つ二面性を見ることで憂鬱にならないのだろうか。人間の卑怯さ、汚さ、偽善性を誰よりもご存じなのは全能者自身である。


だとするならば人間が完全性を持ちその善性を示すようになることを、誰より望んでいるのは全能者ご自身ではないだろうか。


 ノアの洪水の時に神は「人間を創ったことを悔いた。」とあるが、あの「悔いる」というのはこの「憂鬱な思いをされた」ということではないだろうか。キリストの贖いの犠牲は、人間を救うことによって全能者も救われることになるのではないだろうか。全能者を救うといえば口幅ったい言い方だが、要は人が救われることで全能者の「憂鬱」を取り去ることになるということである。