ロシアの裁判はJWとは無関係ではない。 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

ロシアの裁判に関して、やれ民主主義の根幹の問題だとか言って、問題をはぐらかす向きもあるが、どうも日本に住んでいる平和ボケがここにも影響を与えているようだ。


たとえば今の時代に、徳川幕府のキリシタン弾圧に対して、キリシタンの取った行動が幕府の逆鱗に触れたと分析をするだけで、そのような分析は人権問題に対するリテラシーが低い。」とか言って批判し、悦に入っている者がいたら、その人物の頭の構造を疑っていい。


そんなものはわかりきっていることだ。


支持率80%以上を獲得している現ロシア連邦は実質プーチンの独裁国家であると言ってよい。ユーラシア大陸のアジアから東ヨーロッパにわたり広大な版図(はんと)を有するロシアはソ連崩壊後も世界最大領土の国だ。それだけ広いということはそれだけ多くの民族言語そして宗教を奉じる者を含む。その中で80%以上の支持率を得るというのは驚異的というよりも、むしろ言論の自由などないと解釈したほうが良い。政治批判などは当然監視されていると考えてしかるべきだ。


ロシアにはイスラム教徒が1520%存在し今世紀半ばくらいになると3分の1がムスリムになると予想されているとWikiにある。今はムスリムに対する偏見を取り除くために、ムスリムたちは友好を目指し、活動している。とするならばムスリムたちは当然ロシア正教に対して敵対的言動は慎むはずだ。それが知恵のある方法だ。


しかしながらロシア連邦内のイスラム国家であるチェチェンは、ロシアからの独立を目指したが、ロシアは軍隊を使って武力鎮圧した。二度のチェチェン紛争でロシア軍推定約13000人、チェチェン側推定約32000人の犠牲者を出した。戦闘は20005月に終了したが、2002人にモスクワの劇場爆破事件が生じその後も頻繁にロシア国内でテロが生じている。そのほとんどが宗教がらみである。(2002年のモスクワ劇場爆破の様子は日本のメディアでもかなり生々しく報じられた。たぶんこういうイスラム過激派の暴挙が「それに比べればJWはイイ。」という比較による信仰を築き上げた記憶がある。)



20162月には、ベビーシッターをしていた女性が、世話をしていた子供を殺害し「民主主義は嫌いだ。一人残らず爆破する。」と叫んで、逮捕され精神鑑定を受けている。この事件そのものは個別事情による特殊なものである可能性は高いが、それでも「民主主義を否定する宗教者」の取る奇怪な行動に対する警戒心を持つことにはなる十分な理由にはなる。


こういった国内事情を背景にロシアは宗教に対し態度を変えていく。

 

Wikiによると、 

「第2次プーチン政権が発足してから「プーチンなきロシア」を叫ぶ市民のデモが開催されたり、反プーチンの運動が活発化している。そのためこれらの運動の封じ込めの一環として、「宗教信者の感情を害した者に禁錮刑と罰金を科す法案」「未成年者への同性愛の宣伝行為に罰金を科すことを定めた法案」に2013年に、「好ましからざる外国組織のロシアでの活動を禁じる法律」が2015年にそれぞれ成立し、政府の統制が強化されている。」とある。


のような極めて緊迫した社会状況のさなかにあって、ロシアのJW裁判で、政府側がJWの教理の中にある「ロシア正教や政府に対する侮辱や不信感を掻き立てたり、非協力的な精神を助長する」文言に注目するのは至極当然の理屈と言ってよい。


ロシアのJWが善良な市民であるとか、JWが危険な宗教ではないというWT側が用意した第三者の証言などは何の意味もない。実際に出版物に掲載されている文言こそが証拠であり、そういう第三者の言葉などその人の主観に過ぎず、それで出版物の中にある過激表現を打ち消すことにはならない。問題視されているのは「出版物の表現」であるという事実を統治体は理解していない。その表現そのものを反省し、削除と今後の不使用を約束しなければならないのである。それを約束しないでいくら無罪を訴えたところで全く論点を理解していないということになるその約束ができないなら、無罪主張や解散撤回要求はできないのでロシアの判決は正当になる(この部分を理解しないで人権問題のみにすり替える人がいるのには驚くが信仰心の有無も関係しており、それを非難する気はない。信仰生活を長きにわたってしたことのない人から見ればそう見えるのだろうという程度である。)


使徒1716ではパウロがアテネで伝道したときに 「さてその都市に偶像が満ちているのを見てパウロの内なる霊はいらだつようになった。新世界訳)」 とある。この「内なる霊はいらだつ」の部分は口語訳では「憤りを感じた。」とある。


しかし、パウロはその「いら立ち」もしくは「憤り」をそのままアテネの人にぶつけただろうか。続く22節ではアテネの皆さん,わたしは,あなた方がすべての事において,他の人たち以上に神々への恐れの念を厚く抱いておられる様子を見ました。(新世界訳)」とある。口語訳ではアテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。」とある。


異なる宗教を持つ人の宗教心を尊重しそのうえで創造者に対して証言している。トルストイの言葉を借りるという責任転嫁をしながらもロシア正教会の教理が「迷信で呪術的」と記載し、ロシア正教徒の感情を害するような真似など決してするべきではなかったのである。このような攻撃的表現を出版物に掲載することを良しとし、しかもそれをロシアのJWに広めるように指示している統治体こそが、ロシアのJWたちを追い込んでしまったのである。ロシアのJWを不当に苦しめたのはロシア政府ではない。直接的にはそうかもしれないがその原因を作り出したのはパウロの模範に従わなかった統治体である 

 

ロシアの宗教弾圧が、ロシア国内の全宗教に及んでいるとしたら、ロシアの裁判はJWと無関係であるという考えは正しい。しかしWTをターゲットにしたものならば、やはりJWの問題になる。今後どうなるかわからないが現時点ではそう判断する。

 

 

幼いころに2世という体験だけを持ち、霊的絶対者というものを意識せず、そういう存在に対して信仰心を持ったのでないのであるなら、信仰者の本質を論じることなどできようはずがない。


民主主義に関してはJWこそ民主主義を否定していることを忘れてはならない。統治体は民主主義による基本的人権の保護をロシア政府に求め、手紙を書くように信者に要求したが、信者がそこまで基本的人権に対するリテラシーが高いのであるならば、全信者は統治体に抗議の手紙を書くのが本筋である。現実はそれをすれば断罪に処せられ基本的人権は無視される。

 

JWが組織内でその種の人権闘争をした歴史があるのならば、その時初めてロシアの裁判の妥当性を民主主義の視点で論じることができるだろう。

 

 

ロシアはJW個人の信仰に対して踏み入ってはいない。あくまでも組織活動に対して過激であると認定した。善良なJWがいくらいようと、組織の教えが過激ならばいつ豹変するかわからない怖さを秘めている。従って個々のJWの善良さをいくら訴えても無駄なのだ。 他の宗教にJWの「良い評判」を求めていくら好意的な証言を得られようと、それを否定する証言も探せばきりがないから無駄な努力だ。


それよりも現に私自身も「ハルマゲドンによるJW以外の全滅教理」の悪影響を受けていたと今になって思うゆえに、過激であると証言する。また元JWの抱く憎悪に関しても、それを幼稚だと一刀両断する前に、そういう憎悪も組織にいたころに「JW以外は全滅」という考え方の影響を受けていると分析する。したがってそういった憤りの表明こそがJWの教理の過激性の結果だと思うので必ずしも幼稚だと個人の責任ばかりにあるとは言えない。かつては私もそのような憎悪を抱くことは間違っていると思いブログでも「憎悪が憎悪を生む」ことや憎悪の持つ負の連鎖を好ましくないと表明していた。  


しかしそのように一方的に断罪する前に、なぜあれほどまでに従順だった子供たちが成人してそこまでの「憎悪感情」を持つに至ったかを、考慮しなければならない。結論的には「憎悪感情」を抱くことは間違っているという以前の考えは変わらないのだが、そうなるに至った背景を考慮すれば、心を痛めざるを得ない。それを「幼稚」だ決めつけてしまうというのは、侮辱以外の何物でもなく、同じ2世でも違和感を覚えることだろう。それこそリテラシーの問題だ。そのように断罪することで「同じ2世でも俺はお前たちとは違うんだ」という「選民思想」をみなぎらせている。フレネミーになる可能性を秘めている。  

その分析ができなければ、JWの過激性をいくら私が言ったところで理解できないだろう。知恵というのはただ数多くの本を読みこなしたから培えるというものではない。

「わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。」 伝道の書12:12-14(口語訳)

ちなみに何度も断っているがあくまでも私は「敬虔な信仰を持つJW」にあてて書いているので、信仰心のない人が反発を感じることもあろうが悪しからずご容赦願いたい。