統治体成員による「自然離脱のススメ」2 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

Q:ジャクソンさん、あなたは自分の領域ではないと言いますが、あなたは、あなたが言ったように、全分野の責任を負っている統治体のメンバーであり、あなたは10年間そのメンバーであり、すべての委員会は統治体に釈明責任あります。


A:まさにそうです。


Q:ではそれはあなたの領域ですね。


A:基本的な聖書の原則を認める限りにおいてのみです。あなたが私に尋ねたいと考えている聖書的原則がありますか?あるいはあなたは原則と原則の思考について話しているのですか。そこには違いがあります。


Q:はい。原則はすべて聖書的原則に支配されているのですね?


A:はい、もし聖書の原則について質問があるならば、喜んでそれを説明しようと思います。


Q:だから、諸原則は聖書の原則につき従っていることを保証するために統治体によって是認されなければならないのですね。


A:まさにそうです。しかし原則は時々変更される必要があるという事実はそこに余地があることを示しています。


Q:あなたはわからないと言いますが、積極的に断絶をせず、消え去ろうとしたり、不活発になった人が規約に支配されることが当てはまらないのであるならば、その時、規約に支配される人とされない人との線引きはどこなのでしょうか?


A:それは良い質問ですね。そこが審理が介入するところなのです。「審理」ということによって私は、ある人が地域社会でエホバの証人の一人としてまだ知られているかどうかに関して、人の良識を使うことを言いたいのです。


Q:それは要点ではありません。もし人が地域社会でエホバの証人として知られているとするならば、その人は断絶もしていなければ交遊も禁止されているわけでもないからですよね?


A:そうですね、それはその人が他の人に何を語っているかと関係がありますね。


Q:中間の選択肢はないですね。あなたは組織の一員であり組織に服従しているか、そうではないかのどちらかです。そうではないですか?


A:はい、でも私はあなたが断絶について尋ねていると思っていました。


Q:そうですよ。それでもし誰かが、断絶はせず、ただ単に不活発になろうとするか、消え去ろうとしたとしても、なお組織の規律や規則に支配されているのですか?


A:もし彼らがエホバの証人の一人であることを認識しているならばですね。


Q:もし彼らが逆のこと、自分がエホバの証人の一人ではないというならば、その結果は断絶ですか?


A:もしその道を行くことを決めるならばですね。


Q:たとえ彼らが積極的に断絶しなくても、彼らは背教者として交遊を断たれますか?


A:いいえ、背教者とは聖書の教えることに真っ向から反することをする人です。


Q:もし長老が不活発もしくは消滅しようとしている人の家に訪れ、「あなたはまだエホバの証人ですか、それともそうではないですか」と言い、その人が、「はい、私はエホバの証人ではありたくないのです。」と言えば、その結果は交遊の禁止、もしくは断絶ではないのですか?


A:そうではないですね。私はそのことに同意しません。私が見てきたことから判断すればです。仮定の状況ですが、起こりうるものとして言わせていただけますか。二人の長老が誰かの家を訪ねます。彼らは「やあ、私はクリスマスを祝っています。」と言いに出てくるつもりはありません。それは、エホバの証人がこれらの人を調査するために何らかのスパイ網のようなものを持っているということを前提としていますよね。私たちはそういうものを持っていません。しかしもしその人が「私はエホバの証人としてバプテスマを受けましたがもはや活発ではありません。」というならば、きっと長老たちは「そうですね、私たちはあなたが戻ってくることを励ましたいのです。あなたを助けるために私たちができることが何かありますか?」というでしょう。さて彼らが戻ってくる過程で、もし彼らがエホバの証人の生き方と反する生活をしていたことを話したいと感じるならば、その時にそれを扱うでしょう。


Q:その仮定の話を考えましょう。彼らがこの家を訪問したとします。ジャクソンさん、聞こえますか?


A:すみません質問が聞こえませんでした。


Q:少し不具合があったのですが、もう大丈夫なようです。ジャクソンさん、先ほどの、二人の長老が、しばらくの間不活発であった人の家庭を訪問しその人が活発な信者に戻るかどうかを探り、彼らにそうするように励ます仮定の話を取り上げましょう。その過程で長老たちは、その人がエホバの眼に罪を犯す生活をしていることがわかります。その人は組織の規律にその時支配されているのですね?


A:その場合はそうですね。


Q:それを避ける唯一の手段は断絶することでしょうか?


A:もしそのように扱われる過程を経験したくなければですね。しかしあなたの仮定の話の中で私が言えるとするならば、そういう人は、戻りたがっていることを示してきました。そういう状況にある非常に多くの人は実際戻りたがっているのです。


Q:ジャクソンさん、私の仮定の話は戻りたがっている人とは無関係です。私の仮定の話は、ある人は離れたいと思っていたり、関係したくなかったりということを前提としていました。不活発になったが断絶でおしまいにしたくない人の可能性について探っているのです。


A:申し訳ありません。私は彼らが戻りたがっているということを示しているとあなたが言った事実を誤解していました。すみません。


Q:それで私たちが話し合いたい要点はこうです。不活発になり、ただ不活発のままでいたいだけの人は、それでも組織の規則と規律に支配を受けているということです。そうではないのですか?


A:もし彼らが戻りたいならばです。しかし私たちは人々に私たちの信念を無理強いして従わせるようにする警察ではないのです。


Q:要点はですね。たとえば、もし長老たちが訪問してその人がエホバ証人の眼からみて、罪を犯している生活をしていることがわかるならば、そのとき長老たちは手順に従って、組織の規律の下にその人を懲らしめる。そうではないのですか?


A:はい。エホバの証人の一人であることを主張している人が罪深い生活をしている場合はそうですね。そのとき長老たちは、何をする必要があるかを十分確認しようとするでしょう。私たちは明らかにその人を助けたいと思っています。そこでその最初の段階が、彼らは戻ってきたいのか、自分のしていることを進んで変化させるだろうか、を確認することです。そしてもし最終的に彼らが私たちに話したいと思うならば、それが審理問題と関係するでしょう。


Q:しかしもし進んでする気がないなら、彼らは断絶しなければならないか、忌避されるのですね?


A:それは特別な事例でしょうね。そうでない多くのシナリオを私は考えることができます。


Q:断絶や忌避の両方の場合、エホバの証人の残っている成員は断絶した人は忌避にあっている人と交流できないのは正しいですか、正しくないですか?


A:それは聖書の原則に寄ります。あなたはすでに読んでいらっしゃることと思っています。


Q:それは同じ家に住んでいない家族の成員ですら含むのですね。


A:その通りです。


Q:それでは組織から離れたがっている人は一方で組織からの自由、他方で友人や家族そして社交的な交わりのどちらかを選ばなければなりませんね?


A:私はその仮定に同意しないことを明確にしました。あなたははなはだしい罪について話しているのですか、それともただエホバの証人と離れたいと思っている人について話しているのですか?それを明らかにさせてください。もし誰かが活発なエホバの証人でありたくないと思いその人たちが地域社会、でエホバの証人だとみなされていないのであるならば、私たちはそれを対処しに出かける、いわゆる霊的警察権力を持っていません。