今日の旅行する監督はすべて統治体とその延長線上の権威である支部の指揮下に置かれています。
旅行する監督の割り当て巡回区や地域区は自分勝手に訪問できるわけではありません。
では1世紀におけるパウロを統治体の特別な代表者であると勝手に決めつけましたが、彼は統治体の計画により派遣されたのでしょうか。
以下の記述から何がわかるでしょうか。
1回目の宣教旅行を始める前の状況です。
使徒13章
さて,アンティオキアには,そこの会衆に預言者や教え手たちがいた。バルナバ,それにニゲルと呼ばれるシメオン,キレネのルキオ,地域支配者ヘロデと一緒に教育を受けたマナエン,そしてサウロであった。2 彼らがエホバに対する公の奉仕をし,また断食をしていると,聖霊がこう言った。「すべての人のうちバルナバとサウロをわたしのため,わたしが彼らを召して[行なわせる]業のために取り分けなさい」。3 そこで彼らは断食をして祈り,手をその上に置いてから[二人]を行かせた。4こうして,これらの人は聖霊に送り出されてセレウキアに下り,そこからキプロスに向けて出帆した。
2回目の宣教旅行を始めるときの記述です。
使徒16章
6 また,彼らはフリギアとガラテア地方を回った。アジア[地区]でみ言葉を語ることを聖霊によって禁じられたからである。7 さらに,ミシアに下るさい,ビチニアに入ろうと努力したが,イエスの霊はそれを許さなかった。8 そこで彼らはミシアのそばを通ってトロアスに下った。 9 そして,パウロは夜中に幻を見た。あるマケドニアの人が立って彼に懇願し,「マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください」と言うのであった。10 そこで,[パウロ]がその幻を見てからすぐ,わたしたちは,彼らに良いたよりを宣明するため神がわたしたちを呼び寄せてくださったのだと結論して,マケドニアへ行こうと努めた。
3回目の宣教旅行の始まりはこうです。
使徒18章
19こうして一行はエフェソスに着いたが,[パウロ]は彼らをそこに残し,自分は会堂の中に入ってユダヤ人たちと論じた。20 彼らはもっと長くとどまるようにとしきりに頼んだが,[パウロ]はそれに応じないで 21 別れを告げ,「エホバが望まれるなら,またあなた方のところに戻って来ます」と言った。こうして,彼はエフェソスから船出して 22 カエサレアに下った。そして,上って行って会衆にあいさつし,それからアンティオキアに下った。
23 そして,そこでしばらく過ごしてから,彼は出発し,ガラテアとフリギア地方の各所を回ってすべての弟子たちを強めた。
何がわかるでしょうか。
パウロは全くエルサレムに立ち寄ってはいない!ということです。
パウロは聖霊に直接導かれて旅行を計画しました。
使徒時代に統治体が存在していたのであるならば、
なぜ神は統治体を通してパウロに指示しなかったのでしょうか。
やはりここでの結論もこうです。
1世紀に統治体は存在しなかった!!
ということです。
確かに割礼に関するエルサレム会議の時には、その決定をパウロとバルナバは統治体もどきに「派遣された」かのように見えます。でも注意深く読むと、
使徒15:22 そこで,使徒や年長者たち,また全会衆は,自分たちの中から選んだ人々を,パウロおよびバルナバと共にアンティオキアに遣わすことがよいと考えた。
しかしここで使徒や年長者たち以外に「全会衆」が存在していることを見逃してはなりません。こうなると統治体の構成要員はものすごく多いことになります。ま、全会衆とは全会衆の代表者という意味だとするんでしょうが、要するに「使途や年長者」以外の全会衆の代表者も統治体を構成していることには変わりません。決して使徒や年長者という一握りのグループではないということになるでしょう。そうなると、それらの人がいつも鳩首会議して当時のクリスチャン会衆を指導していたのでしょうか。常識的に言ってそれはないでしょう。やはり西暦49年のエルサレム会議は臨時に集まった一時的なものであり、そこに統治⇔被統治の関係などなかったと考えるのが最も妥当な結論でしょうね。