非聖書的で背教の精神がにじみ出る、エホバの証人統治体主催の記念式 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

記念式の招待状が再び郵便受けに投函されていました。今回は先の人とは違う人でした。改めていま組織が記念式に誘おうとする運動を展開しているなと感じました。招待状には「永遠の命を得るにはキリストの犠牲に感謝をささげることが大切です。」と、まるで非信者相手に書くような「教え」がありました。そういう言葉で心が動く人もいるかもしれません。

 

下記の記事は2013年12月7日に書いたものですが、統治体が如何に記念式を歪めているかを指摘しています。このような招待状は下記の①②の精神を反映していないのが明らかです。従ってJWの記念式に出席することがキリストの犠牲に感謝を示すことにはならないということです。

 

____________

 

 

JWが一年に一度だけ行う唯一の儀式記念式。
 

きわめて重要な日と位置付けるので十分な認識のない人でも「なんか重要」と考えている日。

 

しかしこのJW式の記念式の執り行い方は明らかに非聖書的で背教的です

 


 

 

まず、この記念式は当時過ぎ越しの祝いの日に行われました。

 

過ぎ越しは出エジプトにあたって神が災いをイスラエルの民の上を過ぎこされたことを祝う日でした。

 

その日は神の救いを思い起こし神に感謝を表す日でした。

 

それにとってかわった記念式はどのように過ごすべきでしょか。

 


 

 

①まずこの日マタイ26:18によると、

 

イエスは「弟子たちとともに過ぎ越しを祝う。」とあります。

 

それまで最後の証言を行っておられたので

 

大勢の群集を集めようと思えば集めることもできました。

 

群衆を集めるだけ集めておおっぴらに行うこともできました。

 

しかしイエスはそうはされず弟子たちとだけの極めて私的な空間と時を持たれました。

 


 

 

②そしてこの場所でイエスは裏切り者(背教者)がいることを明らかにしました。

 

マタイの記述ではユダがいつ退出したかはわかりません。

 

しかしヨハネ13:30,31を見るとユダは一口だけ食して退出したことがわかります。

 

しかもこの一口の食物は「浸して」食べるものであり、

 

ヨハネ13:27では食した後すぐにサタンが入ったというところから

 

いわゆる「王国契約」と呼ばれる「パンとぶどう酒」の際にユダはいなかったと考えるほうが道理にかなっています。

 

またユダがヨハネ13:31を見るとユダが出たのを見計らってイエスは感動的な最後の晩餐での教えを始められます。

 

このことは不信仰なものはその場に同席してはならないということを伝えています。

 

聖なるものと穢れたものは同じ席に着くことができないという原則です。

 


 

 

③そしてその最後の教えの内容はどのようなものだったでしょうか。

 

ヨハネ13章終盤から17章全体には珠玉の言葉が並んでいます。

 

ここでイエスの愛、ヤハウェの愛、究極の自己犠牲など心打ち励ます言葉が並びます。

 

神をイエスを身近に感じるように言葉が並びます。

 

興味深いことに最後の晩餐でのイエスの言葉を最も詳述に描写しているのはヨハネ13章~17章ですが、そこではパンとぶどう酒の儀式についての記述はありません。

 

マタイの記述ではあるのですが、そのことが行われたのは事実でしょうが、

 

重要性はともかく記念式の時間の多くを占めていたのは神の愛を教えるものでした。

 

これは過ぎ越しの精神と同じものです。

 

過ぎ越しにせよ、記念式にせよ、

 

いずれも神の愛に思いを巡らすものだったことは間違いありません。

 


 

 

④一方ユダはその時間の間を利用し、かねてから示し合わせていたように

 

イエスを銀貨30枚で売る算段を実行するために

 

卑劣にも自分の利益のために計画的行動をとっていました。

 


 

 

さて…

 


 

 

今日のJWの記念式の行い方はどうでしょう。

 

聖書的ですが、非聖書的ですか。

 

まず

 

記念式に招くように大々的に伝道し、それ用のビラまで作り特別に活動します。

 

大規模な組織的活動で人数集めに必死になり

 

そして「残りの者級」とやらがおおっぴらに衆人環視のもとでパンとぶどう酒を飲み食いします。

 

本来信者だけの私的な空間であるはずではないでしょうか。

 

これはイエスの行われた方法と一致するでしょうか。

 


 

 

②たとえ排斥者でも記念式に出席することは禁じられません。

 

また全く信仰も持たず、不道徳な生活をし、時には反対者ですらも招かれます。

 

これは正しいことですか?

 

それが与える効果とはこの際全く関係はありません。

 

それは正当化するための屁理屈にしかすぎません。

 

もし何らかの良い効果があるならイエス自身がそうされていたことでしょう。

 

このことが肝心かなめで最も説得力のある正当な根拠です。

 

イエスはそういった人を招待しましたか。

 


 

 

③JWの記念式は主要なのはパンとぶどう酒を飲む儀式であり、

 

その儀式までの時間は「油注がれた者級」とやらが

 

いかに神の恩恵を受けて特別の存在であるかを示すものです。

 

そしてパンとぶどう酒を飲食するものが

 

決定的に大群衆に優越感を持てるようにしています。

 

「わしら~、おまえらとはちがうんじゃい」とドヤ顔になれる時間です。

 

大群衆はパンとぶどう酒にあずかれないので

 

神とイエスに対してある種の壁を感じる時間です。

 

話の中身は油注がれた者級に焦点を当てており、

 

ヤハウェとイエスについて感謝するものではありません。

 

「神とイエスは144000人を愛しているのでその恩恵にお前らもあずかれるんだぞ。

 

144000人の支配を楽しみにしとけよ。」風です。

 

私は最初記念式に出席した時話の中身がわかりませんでした。

 

もっとイエスの犠牲に感謝するよう励まされる感動的なものかなと。

 

でまったくそういうものではないので失望し、

 

記念式の最中はもっぱらイザヤ53章を黙読していました。

 

これはいわゆるヘンデルの「メサイヤ」ハレルヤコーラスの素材になっているものです。

 

毎年イザヤ53章の状況を思い描き、

 

ハレルヤコーラス

 

♪And He shall reign forever and ever,
King of kings! and Lord of lords!
And He shall reign forever and ever,
King of kings! and Lord of lords!
Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah!
Hallelujah!)

 

を耳朶によみがえらせことによって記念式中は涙ぐんでいました。

 


 

 

ニサンの14日日没は本来過ごすべき時間を統治体は自分たちを高めるために利用しています。

 


 

 


 

 

私はJW式の記念式の祝い方はユダが記念式を祝っているのと同じだと思っています。

 


 

 

そしてそういった記念式の間違った祝い方が実は敬虔な精神を培うことを損ない

 

愚かなふるまいを記念式で行わせることになるのです。

 

それはまた次の機会に書きます。

 

JWの中の醜い人間関係を知っても

 

教理に疑問を持たないならば真にマインドコントロールから抜け出したことにはなりません。

 

仮に支部が良くなれば、会衆は良くなれば、誰かがいなくなればそれだけでまた再び戻ってくるでしょう。

 

もし醜い人間関係に幸運にも遭遇しなかったら間違った崇拝方式を続けることになるからです。

 

ですから教理や教義慣習が非聖書的であることを認識しなければなりません。