この20年ほどの間に発達障害という概念が広まった。それまでは「ちょっと変わった人」だったのが、心理学者や精神医学者によって研究が進められ、社会全体での認知度が進んだ。それは結果的に、本人にとっても家族や周りの人にとってもよかったと考えられる。

その発達障害のアスペルガー(自閉症スペクトラム)に入れられてしまいがちだが、しかし違うと指摘されていたのが、ギフテッドである。神様からの送り物といった意味をこめて、ギフテッドと呼ばれている人たちはどのような人なのか。まだ研究途中であり、研究者や地域によって微妙なズレがある段階ではあるが、一定程度の特質が明らかになっている。

その特質の第一は、極めて知的レベルが高いことである。理数系であったり文科系であったり芸術系、場合によっては体育系であったりするようだが、同年齢の子どもと比較して、驚異的に学習能力が高いのである。真面目で賢くて努力を惜しまない、いわゆる真面目で出来の良いとは異なり、暗唱も1~2回繰り返せば身につく、音楽的能力であれば1回聞けばその曲を再現できる。昔からある言葉で言えば、天才である。

また、この子たちは特別に知的能力が高いので、同年齢の子よりずっと年上の人と話すのが好きである。有名な数学天才児が実在する。中学生だが大学の数学の教授と第一線の研究について対等に意見交換ができる。

ギフテッドの人はリーダー的である。アスペルガーの人は知的に高い部分が見られても、空気が読めず人とのコミュニケーション力が著しく欠けるので、集団に溶け込めない。とてもリーダーにはなれない。

ギフテッドの人は疑義を持ちやすく、それを抑制することはしない。つまり、おかしいと思ったら必ず発言するのである。真面目で出来の良い子は、大人から質問されたらちゃんと期待に応えるような回答をする。一方、ギフテッドの人は、大人がした質問そのものに対して「その質問は意味のない質問だ」とか「そんな質問に答える必要ありません」などと、質問自体に疑義を提起する。まあ、大人からすれば可愛げのない子である。完璧主義で、独創的で、とことん追究する姿勢が尋常ではない。

その成育歴を見ると、真面目で出来の良い子は幼少期から大人になるまで極めて順調に進む一方、ギフテッドの人は大抵どこかで学習放棄をしたりとんでもない方向に進んだりする。その後戻ってくれば社会に役立つ仕事をする。

例を挙げよう。アインシュタイン、エジソン、スティーブジョブズ、日蓮。いずれも知的レベルはとても高く、天才であることは間違いない。アインシュタインは3歳くらいまで言葉を発さなかったらしい。学者への道を真っ直ぐに進んだのではなく、特許局に就職している。しかし、相対性理論をはじめ独創的、革命的な研究成果をあげた。

エジソンも賢かったことは言うまでもないが、学校生活にはなじめなかった。先生を質問攻めにし、授業の邪魔になるので登校停止になったことは有名である。長じて人類の生活を一変させるような独創的発明を次々とした。

スティーブジョブズも同じく、革命的なIT発明をした。強いリーダー湿布を発揮した。しかし、身近な人たちからの尊敬を集めることはなく、常に人々とぶつかっていた。

日蓮は、理系学者、発明家ではなく宗教家である。知的レベルが高いことは言うまでもない。教義について突き詰めて考える性格は特別に強く、当時はやっていた「念仏を唱えれば阿弥陀仏のもとへ行ける」などという教義に対し、「念仏を唱えるだけで、ありもしない阿弥陀仏の極楽などへ行けるというのは、現実逃避でしかない。今のこの世の中を変えてこそ仏・法・僧の意味がある」と主張し、他の多くの宗派を徹底的に批判した。政権や他宗派から迫害され殺されそうになっても決して主張をやめず、国家に対して何度も意見した。世間との調和や妥協はしない、完璧主義者であった。

このように考えると、人類の進歩(進歩でない場合もあろうが)にかなり、ギフテッドの人たちは貢献しているように思う。ギフテッドの人はその特殊な能力・性質ゆえに、生育過程や社会生活でずいぶん苦労しているのではないだろうか。もちろん、苦労することはギフテッドの人にとって、全身の強いモチベーションになることもあるだろう。しかし、特に日本のような横並び教育、同調圧力が強い国では、ギフテッドの人々はその能力を発揮できないだろうし、現代のように国際化が進むといわゆる頭脳流出が止まらないだろう。

まずはギフテッドの研究、次に社会での認知、そして制度の確立がされるべきだと考える。