カウンセリングを受けてきました。
結論から書くと、今回の治療に私は期待をしています。

約1年前にもカウンセリングを受けていましたが、失感情症の「自分の感情が分からない」壁を越えられず、思うような結果が得られませんでした。

しかし転院し、自身の状況やカウンセラーが変わったこともあり、一度受けてみることにしました。



今回のカウンセラーの先生は論理的で、精神疾患はあくまで「脳の病気」であることを最初に教えてくれました。

そしてその上で、現状、カウンセリングに対する考え方、私が思う病気の状態などを聞き出し、「かなり厳しい状態だね」と呟いた後、こう話したのです。

「失感情症にはいくつかパターンがある」

①感情がペラペラで本当に何もない状態。
②考えることはできるが、身動きが取れない状態。
③考えて身動きを取ろうとするが、きつく抑えられ、感情として現せない状態。
※一部曖昧な部分があります。

話す中で先生は、私が恐らく③の状態にあることを教えてくれました。


感情が全くない人間は「嬉しい」「悲しい」以前に、考えることがないのだそうです。

ほとんどの人たちは現状や相手の気持ちを考えながら生活します。だから不安や喜びが生まれるのです。

つまり、考えることができ、感情が分からないながらも進もうとする私は③に当てはまると言うのです。

感情が分からないのは事実ですが、恐らくは豊かな感情が地下に貯まっていて、それを大きな砂場が覆い尽くし、自分でも気付かないよう抑え込まれている可能性が高い、という推察でした。

一連の話のどこを切り取っても私には納得できて、失感情症を治せる兆しが見えました。



一方で、治療方針を決めていく中でやはり1つ引っ掛かるのが、感情の「痛み」です。

このブログでも何度か綴ったかもしれませんが、感情を知らない人間が感情に出会った時、耐えられるのでしょうか。

「嬉しい」「楽しい」そんな感情ならいい。
でもそれだけで生きることはできないし、何より今の状態に追い込んだ現実に直面した時に、激しい感情に耐えられるのか分かりません。

そのことを伝えると先生はハッキリと答えてくれました。

「病気になって手術をする時、正常な部分を切り開いて悪い部分を取り除く。悪い部分が取り除かれても傷が治るには時間がかかる。それと同じことだよ」と。

それはつまり、失感情症の治療にあたって「痛み」は避けられないということで、ただ、その「痛み」で壊れてしまわないように、ゆっくりと治療を進めていく、ということでした。

不安がないわけではありません。
期待に満ちているという感じでもありません。

でもこの機会を逃したら私は一生自分の感情を知らないままで、気付いたら身体を壊して働けなくなって、復活してもまた壊れて...を繰り返す。
いつ社会から棄てられてもおかしくありません。

一縷の望みに賭けてみようと思うんです。

まずは次回、感情を伝えられない私の状況を知るために、徹底的にテストをするところから始まります。

ゆっくりでもきっと、変わっていける。
信じていればきっと、灯りが待っている。

大丈夫だよ。


ゆーり