私の中で、それは12年前に始まった。

小学校5年生の春だったか秋だったか
風邪をひいて学校を休んだ日に
近所のお姉ちゃんが持ってきてくれた本
それが「ハリー・ポッターと賢者の石」だった。

1巻の第一章、
そのページをめくったのを覚えている。
そのときはなんともつまらなくて
しばらく本棚に置いたあと
お姉ちゃんに返しに行った。

そのすこし後の事だった。
なにかの書評でハリー・ポッターの評判が良いと知って
ママにおねだりして買ってきてもらったんだっけ。
もう一度腰を据えて読んでみたら
それはもう、ほんとに
びっくりするくらい面白かった。

すぐに2巻を買ってもらって
そのときはまだ10歳になるかならないかだったから
もしかして私にも手紙がくるんじゃないかって
毎日ワクワクしながら眠りについた。

3巻が出た時はしばらく気づかなくて
1週間くらいしてから本屋で見つけて買ったんだ
買った本屋も、平積みになってた光景もよく覚えている。

その頃映画化が決まって
まわりの友達もハリー・ポッターを読むようになって
すこし誇らしいような
大切にしてたおもちゃを取られてしまったような
なんだか複雑な気持ちでそれを見ていた。

小6のクリスマスプレゼントが映画のハリポタグッズで
もうほんとに嬉しくて嬉しくて
シャーペンやボールペン、筆箱はすぐに使い始めたけど
テープとかはもったいなくて未だに取ってある。
あのクリスマスの朝の気持ちは
一生忘れられないと思う。

中3でパパの英国転勤が決まって
行くか行かないかって問われたときに
英語が嫌いなことも忘れて「行く!」って言ってた。
だってハリー・ポッターの国だもん
行くしかないじゃないか!
まぁ、行ってからはいろいろあったけれど。

英国の高校はホントにハリー・ポッターの世界そのままで
古いお城が寮で
ハウスが4つに別れてた。
私のハウスカラーが赤で
うわあ、グリフィンドールの色だ!なんてはしゃいだのを覚えてる。

1番好きだったアズカバンの囚人の原作を読んだのも、
高校に通ってたときだったな。
日本で出た新刊は、パパが一時帰国した時に買ってきてもらって
寮に持っていって一晩で読んだっけ。
むこうにいたときに公開された映画も
英語で全然わからないながらも観に行った。

日本に帰国してからも
発売日に本を買って
公開一週間以内に映画を観に行った。
3年前に7巻が出た時は
一気に読むのがもったいなくて
でも早く読みたくて
ギリギリのところで3日間にわけて読んだんだ。
本が全部入る木箱も買った。
今は部屋のはじっこに綺麗に保管されている。

映画 死の秘宝Part1を観たのは
大学3年のときだった。
就活が本格化する直前で
ハリーがヴォルデモートに立ち向かう姿を見て
私も将来に正面から立ち向かわなきゃって励まされて

Part2の公開日を知って
ああ、来年の7月に、私は就活を終えられているのかしらなんて心配をして
どうかどうか
安らかな気持ちでハリー・ポッターを観られますようにと祈ったりして。


そして今日。
公開の翌日になってしまったけど
映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 Part2」を観てきたのです。

正直、観に行かなければよかった。
いや
上映期間が終わるギリギリに観にいけばよかった。

だって、だって
本当に終わっちゃったんだ。

エンドロールが流れている間
ああ、終わってしまった
ってそればっかり。

物語が終わっちゃう。
12年間ずっと一緒に歩いてきた物語が
本当に終わっちゃう。

イギリスなんて
ホントにホントに遠い国だった。
なんど地図を眺めても
自分がホントにあそこに行くんだなんて
想像つかないくらい遠い国だった。

それがいつのまにかホームになって
いつのまにか過去になって
いつのまにやら懐かしむようになった。
ハリー・ポッターの映画にリアルを感じるようになった。

そんな私の歴史が出来上がったのも
あの本に出会えたからだった。
ハリー・ポッターがなければ
私は日本に残る道を選んだのだと思う。

そういう意味で
ただ面白いだけじゃなくて
ただ好きなだけじゃなくて
私の人生を変えてくれたシリーズだったのだ。


いつかお嫁に行くときは
絶対にハリー・ポッターを持っていく。
子供が自分で本を読めるようになったら
「お母さんの宝物」をプレゼントしよう。


わたしの19年後はどうなっているかな
子供が大きくなっているだろうか?
その頃までには
子供とハリー・ポッターについて語れるくらい
子供があのシリーズを好きになってくれたらいいなあと思うのだ。