お祈りメール…が
一時期第一志望だった企業からきてしまった。
時事問題はダメダメだったけど
文章はどう思われたのだろうか。
自分の文章にすこし誇りを持っていた分
少し動揺している。
ちょっとね。

さて
面接やらESやらでつらつらと自分というものをPRするわけですが
わたしはあれがとても苦手なのですね。

そもそも普段からあまり自分の話をしない
会話の中で「で、りかこは?」と聞かれると
とても動揺する
加えて大いに照れる。
そして目を泳がせながら返事をする
「う、うん、わたしはね…」。

家でもほとんど自分のことを話さないのです。
家に帰るとママに「今日はどうだった?」
と聞かれることがあるのだけど、
なにその質問…と思ってしまう。

なんて答えればいいかわからなくて
「え…普通だよ」
と言ってしまうことがしばしば。
お姉ちゃんはスラスラと答えていてすごいなぁと思います。

お姉ちゃんはママに一日の報告をする時、友達の名前まで出します。
彼氏の名前まで出します。
わたしは出さない。
誰の話をするときも、「友達がね」。
そのフレーズが出ること自体
とてもめずらしいことだけど。

さて、未だに友人と大げんかした原因を考えてしまう夜があります。
その友人との交友はもう復活したけれど
たまに淀んだ空気を感じてしまいます。

あれは一種の見解の相違ってやつだったのだと思う。
タイミングが悪かったのもあるし
相手が悪かったのもあるし。
多分わたしがいろんなことを見誤ったんだ。

普段からその子にはいろんなことを話していたほうだったけど
避けるべき話題を避けることができなかった。
その事自体は反省してるけど、
自分が間違ってるとは今でも思えない。
もちろん友人が間違ってるわけでもないのだけど。

いろんなことを話していたつもりでいて
多分わたしは何も話してこなかったんだろうなぁと思う。
だからいきなりそんな話をされて混乱したのもあるんだろうし
自分の価値観と違う私の考えが受け入れられなかったんだろうな。
つまるところ、理解し合えてなかったということか。

自分のことについて話をした経験が圧倒的に少ない。
あまり話したいとも思えない。
だって多分話しても理解されないし
自分の中でも自分というものが見えない。
芯が通ってるように見えて、実はとても矛盾しているし。

だからこうやってたまにブログに書くわけだけど、
これらはわたしのほんの一部でしかなくて
「わたし」は本当は何人いるんだろうって不安になる。
全部の記憶は繋がっているのに
たまに後から考えると「おかしい」ことがたくさんある。

「わたし」なんて、本当はどこにも存在しないんじゃなかろうか。
自分の中にある世界の中で、
夢だけを食んで生きている。

自分の価値観と違うものを受け入れられないのは
本当はわたしなのかもしれない。