たまには主張したい時もある

たまには主張したい時もある

普段は大人しくしてるひきこもり内面こじらせ女が声を大にして言います

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早速ですが、

最近すごーくよく思うコレ


「自分が悪くないことには謝らない」って主張する人、特に男性に多い気がしますが(偏見ではないですすみません;;)


これを履き違えて使う人が多い気がして一人モヤモヤしています(笑)



そしてこの後に続く言葉、


「説得されて”そうだな”と思えば謝る(つまり自分を言い負かしてみせろ)」と


「大体周りが折れてくれてここまできてしまったからもう変えられない」の多さたるや!



ぶっちゃけて言うと笑えます。

滑稽に見えて仕方ない、ましていい大人が使っているところを見ると



個人的には、その元になった喧嘩なり話の根本なりについて謝るか否かはどうでもよかったりします


でもね、


「ぜってぇ謝らねぇぞ」

「自分は何も悪くねぇぞ」って姿勢は違うと思うんですよね



間違った事は言っていなくても、どこかしら間違った言い方をしていたり、言いすぎたりしているから衝突していると思うんです


そこは「間違っている」でしょ?


だから謝るんです


「やりすぎてごめん」

この一言が言えない人がとても幼く見えてしまう



そして大事なのはこの言葉をお互いが理解していること


言われた方も「コトについては認めたくないんだな」って事を察して、一旦許すなら許す。熱を冷まして改めて考えるならそうする


決して「勝った」や「自分が正しかった」などと思わないことです


これも出来ない人が多いから困りものですけどね



私も相当こじらせた性格をしているのですけど、

喧嘩の相談をされた時にこれができていなくて、衝突してモヤモヤしたまま仲直りしたことになってまた衝突するのを繰り返しているのを見ると、いい加減「アホか!」と叫びたくなります


言ってもきかなかったりするんですけどね、

相手が私よりお年を召していたりするとなおさら



「個性」を重んじる社会の風潮だったり、そんなこんなもあるわけですから


「個性」と「主張」と「わがまま」の共存がなかなかに難しいんですね、きっと



などと自分を落ち着かせるために考えたりもするわけですが、


相談に対して「どうしたいの?」と聞くと「そりゃぁ仲直りしたいよ」と大体は言います


「でもこれで縁が切れるなら仕方ない、相性が悪かったんだ、自分は後を追うようなことはしない」とも続きます



で、結局あなたはどうしたいんだい?(笑)



あまりにも「個性」を、「自分」を大切にしすぎて、損をしていないかい?


自分がやりたい事ができていないんじゃないかい?



わざわざ私を選んで相談してくれているわけですから、私も一生懸命考えます


できるだけその子がしたい道に沿えるように頭をひねります


使う言葉にも頭を抱えます



でも、その子自身がその子のやりたい道に協力的でないと、他人であり別個体である私にはどうしようもないんですよね


限度がさらに狭まるんですよね


「私は十分に頭をひねった、出し切った、あとは勝手にしてくれ~~」って感じです



自分がやりたい事を精一杯楽しんで取り組む人はとても魅力的です


その反対で、自分がやりたい事を自分で阻害して楽しめなくなってしまっている様はとても滑稽です



「折れる」と言葉を使うのが嫌なら、「考え方を変える」でいいじゃないですか


あまりにもへたくそすぎてかっこ悪く見えるんです


そんなの本望じゃないでしょう?




とこんな感じのしょせん私事のひとりごとなブログになります


他にもモヤモヤが溜まって仕方ないんじゃ~~(大の字)



ではノシ