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おだづなよ!津波!東日本大震災を伝えていこう!

東日本大震災によって大きな被害を受けた石巻市に災害ボランティアに行ってきました。ボランティアをしてみて、この震災を伝えていかなければならないと思いました。どう伝えていくか、今はまだわかりませんがブログによって被災地の状況を伝えていければと考えています。

13日の夜に新宿の西口公園に集合し、バスに乗って出発しました。少なくなっているとはいえ、これだけの人数の方々がいるのかと驚きました。バスでは心が緊張していたのか、ちゃんと寝ることができなかったです。


明け方、仙台付近を走っているとある異変に気付きました。それは道の悪さです。デコボコしていて、寝ている人が起きてしまうほど、道が地震の影響でおかしくなっているんです。それは東北全域で言えることなのかもしれません。普段の道に慣れているせいか、デコボコしている道はどうもストレスに感じてしまうんですね。石巻に着いても、車道のみならず歩道も地盤沈下によって歩くことが不安定な状態でした。僕のような若者は問題はありませんが、高齢者の方々は大変だと思いました。



hiroakiのブログ-DVC00028.jpg


高速を走っていると、物資を運ぶトラックがたくさん走っていました。また、我々のように災害ボランティアに向かう人々のバスがちらほら見えました。


石巻市でボランティアをする人々は石巻専修大学の校庭にテントなど張って、そこを拠点にして活動を行っています。大学に着いて校庭を見ると、土曜日ということもあるのか、たくさんの車や人々でいっぱいでした。



hiroakiのブログ-専修大学テント


たくさんの人がボランティアに来ているという現実がそこにあって、我々もこれからボランティアをすることに対して使命感が生まれました。

陸上のトラックでは、地域の中学生でしょうか、学生の方々は準備体操をしていました。専修大学さんの校庭を貸し出すことといい、校庭の地域の学生さんに貸し出すこといい、震災に対して一緒に戦っている姿勢に心を打たれました。


今回、ピースボートのメンバーは専修大学に泊まるメンバーと、テントを持っていないメンバーは石巻市の中央町の料理屋さんの2階に泊めていただくというメンバーに分かれ、僕は後者の本当に感謝すべき環境化のなかでボランティアをすることができました。



hiroakiのブログ-宿泊した場所


1階は津波の被害を受けているというのに、貸していただけるというのは本当に感謝し、ボランティア活動を一生懸命やるだけだと思いました。


最初バスから眺めていて思ったことは、正直な感想です。


「あれ、案外大丈夫なのか…?」


地震による被害は見えたものの、被害をそんなに感じなかったのです。しかし、バスを降りて自分の足で街を歩いてみるとそれは大間違いでした。石巻市の中央町の家やお店は、1階はすべて津波のより浸かってしまって、もうぐちゃぐちゃでした。さらには道の不安定さ、信号が壊れてしまっていて交通の混乱、道には大量のごみ、ヘドロの山が広がっていました。


僕が来た時期は震災から2カ月、その間、先陣のボランティアの人々、自衛隊や全国の警察官の方々、そしてもちろん市民の方々の多大な努力により街は少しずつ復興していたのです。これでも良くなったと被災者の方々は言います。



hiroakiのブログ-石巻中央町


道にはこのように津波によって流された物がたくさんありましたが、物以外にも感じたことがあります。それは臭いです。ヘドロのような臭いが街を覆っていました。

これはただのごみではありません。人々の生活に欠かせない、思い出の詰まった大切なモノなんです。津波はそんなことを関係なく流していくのですね。ですから、活動をするときはモノを大切に扱わなくてはいけません。一見ごみに見えても、それは誰かの思い出の詰まった大切なモノかもしれないのですから。


被災地は全く復興していません。どんどん支援が必要なんだと見て思いました。


では、今回の記事はここまでとさせていただきます。

初めまして!初のブログの更新です。読んでくださっている方々、読みにくいでしょうがご勘弁下さい。


いきなりですが、13日(金)~21日(土)に東北地方石巻市へ災害ボランティアに行ってきました。ピースボートという団体が募集していまして、それに参加しました。個人で行かれる方も多いそうですが、僕のように何もわからない人間にはこのような団体で行ったほうがいいかなと考え、参加を決めました。という訳で、最初のブログのテーマはこのボランティア関係の記事を書いていくことします!

もし少しでも興味がある方のために載せておきます→http://www.peaceboat.org/info/news/2011/110321.shtml


『東日本大震災』と言う名称が大きな規模を物語っていると思います。震災から2カ月ちょっとですか、メディアも少しずつ震災関係のニュースから離れていっている気がします。被災地以外の方々の記憶からも少し薄れていってしまっているということもないでしょうか。ボランティアに行って思ったことがあります。




「いつまでも忘れず、伝えていかなければならない」




ボランティアをしてみて、現地の方々とお話をして、皆さんこう言います。


「まさかここまでくると思わなかった…」


国も国民も皆想定外だったんです。まさかこんなに大きな被害になると思わなかった。


hiroakiのブログ-女川、海から約2キロ



今考えればこの出来事から始まっていたのかもしれません。


「2010年2月27日に起きたチリ地震」

日本でも三陸沖に大津波警報が発令されました。僕も大学生で一人暮らしの部屋から大津波警報という珍しい警報に驚き、テレビに釘付けだったのを覚えています。岩手県や宮城県に3メートルの津波がくると予想されいましたが、それほどまでの津波はこなかったです。


そして2011年の3月9日 宮城県で震度5弱を観測した三陸沖を震源とする地震で、岩手県・大船渡港で60センチの津波が観測され、釜石港でも同18分に40センチ、宮城県でも石巻市鮎川で同25分に50センチの津波が観測されました。




この二つの出来事は被災地、いや日本中の人々に余裕を生んだと思います。この出来事は偶然か、ほんとに不思議な出来事です。


被災地の方々も言っていました。「少し安心していた」と。


もしかしたらこの被害は、防ぐことはできたのかもしれません。地震が起きて一目散に高い場所に誰もが逃げていれば、もう少し被害者は減っていたのかもしれない。


※決して被害者を責めるという意味ではないです。お気を悪くなさらないようお願いします。


大地震、大津波はまた必ず起きます!今回だった実際に起きたのだから。つまり次このようなことが起きたときに私達は一体どうしなけれないけないのか、考えなければいけないと思うんです。東北だけではありません。一体誰が阪神大震災を予想しましたか?日本中いつどこで起きるかわからないんです。


もし大津波警報が起きたとき、もし大した被害にならなったにしろ、避難したならそれいいと思うんです。誰も死ななかったらそれでいいじゃないですか。ボランティアをして、被災地のあまりに悲惨な状況を見て、また被災地の方々とお話をして思ったんです。この地震のことを伝えていかなければならないと。被災地の方々もそう願っています。


今日の記事はここまでさせていただきます。


hiroakiのブログ-南浜町の舞うこいのぼり

この写真は石巻市の南浜町に舞うこいのぼりです。津波によってすべて無くなってしまった町に舞うこいのぼりが印象的だったの写真を撮らせていただきました。