おだづなよ!津波!東日本大震災を伝えていこう!

おだづなよ!津波!東日本大震災を伝えていこう!

東日本大震災によって大きな被害を受けた石巻市に災害ボランティアに行ってきました。ボランティアをしてみて、この震災を伝えていかなければならないと思いました。どう伝えていくか、今はまだわかりませんがブログによって被災地の状況を伝えていければと考えています。

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お久しぶりです。

ブログ更新、全然出来ませんでした。実は私、今とても就きたい仕事がありまして、ここ最近勉強をしたり、いろいろと自分を見つめ返したりと、心が落ち着かない日々が続いておりました。

でも東日本大震災のことを忘れたりすることはありませんでした。ときどき被災地の写真を見たり、被災者との会話を思い出したり、ボランティア活動は私に何らかの影響を与えたのだと思います。そんな時、私にある写真が届きました。

$おだづなよ!津波!東日本大震災を伝えていこう!-もりや

石巻に一緒にボランティアに行った方々が、また行って撮ってきてくれた写真なのですが、実はこのお店は私が行ったときに、泥出しやお店の整理をしたお蕎麦屋さんなんです。いよいよ営業再開をしたということで…心から嬉しいお便りでしたね!

被災地は確実に一歩ずつ復興しているということです。



さて、題名のことなのですが、、、あまりこういった形で政治に対して批判的なことを書くには好きではないのですが、あくまでも個人的な意見ですので、あらかじめ伝えておきます。



7月24日(日)の産経新聞の記事に気になる記事がありました。

立命館大学の加地伸行教授は、昭和47年(1972年)、この年は日本と中国が国交を結び、同時に台湾と断交した年でもあります。その年ん、10月に加地氏は台湾に渡りました。加地氏のその時の身分は、名古屋大学助教授という国家公務員。台湾は日本と国交がない状態で加地氏を受け入れてくれました。

渡台後、加地氏は何ら差別を受けることなく、台湾の学者からは

「国家に国境あるも、学問に国境なし」

という言葉が流れました。



そして月日は流れ、2011年3月11日、日本をとても大きな大きな災害が襲います。東日本大震災です。地震で発生した津波は、太平洋沿岸の街を壊滅状態にし、たくさんの命を奪いました。そして、東京電力福島第一原発では原子炉が次々と自動停止、冷却不能し、その後水素爆発、冷却水の漏出などにより放射能が漏れだしました。東日本はかつて日本人が体験したことのない、生活の変化をもたらしました。それは教育の分野にも大きく影響しています。

文部科学省は、東日本大震災の被災地の大学における私費留学生に対して、国費留学生並みに、3月の1カ月分を奨励金として支給することにしました。

しかし、台湾からの学部留学生は除外とされました。理由は



台湾と国交がないため。



(一部、産経新聞参照)



とても悲しい事実のような気がします。台湾は約170億円も義援金として日本に送ってくれています。金額の問題ではないと思いますが、しかしこの金額は台湾の日本に対する心の表れだと考えるのですね。

なぜ除外したのでしょうか。こんな理由で終えてしまっていいのでしょうか。
$おだづなよ!津波!東日本大震災を伝えていこう!-流された仙石線


衝撃的な光景でした。鉄道がお墓の上に押し流されているという…。駅がそこにあったと言われる場所にも行きました。

$おだづなよ!津波!東日本大震災を伝えていこう!-駅


僕は最初、トイレかと思っていました。運転手さんに駅と言われるまで全然わからなかったです。だって線路が無いんですから。周りには線路と思われるものがぐちゃぐちゃに散らばっていました。津波の破壊力、それは凄まじいものなのです。仙石線はいつ全線開通するのでしょうか。もうこの場所には造れないですよね。またいつ津波がやってくるかもわからない場所に。その前に女川はどうなってしまうのでしょうか?もうどうしたらよいのかわからない、そんな光景でした。

$おだづなよ!津波!東日本大震災を伝えていこう!-そこに生活があった

津波によってほとんどのものが流されてしまい、何も無くなってしまった街、女川。そこには確かに生活があったんです。そんなことを感じさせる漫画でした。家族がいて、そのお子さんの漫画でしょうか、普通に生活していたんです。



女川に行ってみて、言葉が出ない…その一言です。被災者の方が勇気を出して話して下さった出来事なのですが、

その方は津波に襲われた次の日、12日の朝に女川町に訪れたそうです。そこには私の撮った写真とは比べ物にならない光景が広がっていたはずです。道も無い、津波が破壊していった女川が残っていたのだと思います。

もし不快な気分になられる方がいらっしゃいましたら、あらかじめ謝っておきます。これは被災の状況、津波の恐ろしさを伝えていくために書かせていただきます。



その日、その方が女川に着いたときに感じたものは、何も無い女川、そしてとてつもない臭い、死臭と言ってもいいかもしれません。電線には津波に流された方がぶら下がり、また他の場所では首だけの遺体、たくさんの遺体がその場にあったそうです。
そして、足に釘が突き刺さり、自分の子供の名前をいつまでも叫び続ける母親。また一方で、自分の母親の名前を叫び続ける子供…

もう二度と、そんな光景を見てはいけない。



おだつなよ、津波。



ふざけんなよ、津波という意味だそうです。



その話を聞いて、僕もいろんな人に津波のこと、地震のことを伝えていくことを決めました。



女川についてはここまでとさせていただきます。
今日、日本テレビさんの真相報道バンキシャを観ました。一つのコーナーで、石巻市の地盤沈下による浸水の報道をしていました。

浸水してしまう地域に住む方々は、毎日長靴を履いて家を出るそうです。しかもその水はただの海の水だけではなく、マンホールからあふれた下水も含まれているのです。皆さん、潮の満ち引きがわかるように、表を欠かさずに持って生活しているそうです。

これからの時期、大変ですね。今日もたくさんの雨が降っています。すぐ水が溜まってしまう…夏場は衛生面からも大変ですね。



避難所には10万人の方々がいて、他の方々は壊れかけた家に浸水の恐怖に怯えながら住んでいる



まだまだ、課題が山積み…



太陽光パネルやる前にもっとやることあるんじゃないでしょうか。



今日愚痴のようなブログになってしまいました。不快になられた方、申し訳ありません。

明日以降、被災地について書きます。ではおやすみなさい。