新宿の街を一人で夜さまよう。そういえば、去年一人でインドにいった時には、夜中、いきなり停電して、半狂乱でホテルを探して走り回ったなぁと。
走っている最中に、インド人が親切を装って話しかけてくる、ここはバラナシ。全てがガンガーの流れに回収される場所。存在の小ささと、自意識の大きさ。
あからさまに日本人なのに、道を聞こうと思って話しかけても、無視する。ここは、戦場なのだ。我々が、日本においては隠された、暴力や、死、そして生が良くも悪くも開放された場所。
あくまで隠されたものでしかない。清潔に見えるだけに、たちが悪いのである。
ぼくらは、言葉で暴かなくてはいけない。暴力も、死も、そして生も。
野蛮で、繊細で、緻密で地道な戦争。ぼくはそのためにペンをとって、戦う。それが、今まで、そしてこれから生きてきた/いくことの責任なのである。
表象には責任がある。表象するにしても、しないにしても。表象、それは闘いの場なのである。
「深刻」な枠組み もしくは空疎なグリッド
枠組みのみを深く掘ることによって、「面」を構成しようとすること。その枠組みの原理を説明しないこと。雰囲気による支配。滑稽で危険な深刻さ。
感性という名、解決不能とするのならaesthetiqueの存在意義はない。
