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CAPSULE Works 移転します

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どなたかのブログに写真のクォリティーとは何ぞや?
という事が書いてありました
そして、そこへのコメントとして自己満足できれば云々というものがありました
たしかに、なにをもって写真のクォリティーなのか?という所はあります
画質なのか芸術性なのか(この方はそう書いておられました)
はたまた自己満足できればいいのか?
ぼくが思う所のクォリティーはその全てが含まれています
単純に画質というのならば、みんながD800Eを使えばいいわけで
それ以上を求めるならPhaseOne65+使えばいいわけで
でもだからといってクォリティーが高いともいえないのは容易に想像できます
どれほど素晴らしく芸術性の高いコンセプトを持ちながら撮影した所で
表現力が足りなければ、その素晴らしいコンセプトは伝わりません
気持ちはわかるんだけどねぇ~。で終わりになってしまいます
おそらくその段階ですと、自分も満足できていないと思います
では、その崇高なコンセプトを表現するには、高画質のカメラでなければ出来ないのかというと
それも違いますよね
ボケていることにその狙いを含ませる作品も存在しますし
もちろん隅々までガリピンで表現されたものもあります
つまりは表現力と思考のバランスなのだと思います
まずどのようなものを表現したいのかという事があり
狙いどうりなのか、狙いを誘発させる偶然性をつくるのか
それはその場合によると思いますが
とにかく、撮りたいイメージ>それが伝わる表現>それらが噛み合った写真
となった時に自分の中で満足できるものが生まれるのではないでしょうか
この段階で自分的にクォリティーの高いものになるはずです
そして、自分を満足させられたそのクォリティーが
他人をどこまで満足させることが出来るのか?
といった満足レベルの高さがクォリティが高い。という言葉に繋がるのではないのかなぁ
と考えています
自分の満足がどこまで他人を満足させられるのか?
他人の満足がどこまで自分に伝わったか?
ということがクォリティーの高い低いを測る物差しなのではないでしょうか?
そのものの質とは相対的である気がします
例えばテレビ。
作る側がどんなにおもしろおかしく作ったとしても
それを面白く感じなければ見ているこちらにとっては、全くつまらないものでしかありません
そんな番組ばかりですから我々は最近のテレビはクォリティー低いと言いますし
感動巨編であっても
全く泣けねー。つーか、笑える。でしたら、クォリティー低っ!と我々はいいます
ですが相対的であるからこそ、それらクォリティーには幅があるのだと思います
ですからクォリティーを測る物差しには様々な尺度を持ったものが存在してしかるべきです
ただやはり言えるのは自分以外の人間がどの位満足できたか
という事が基準であるような気はします
けっきょく質の高い低いという言葉は、おおかたが他人の仕事の評価の時に使いますから。
ぼく自身がどうなのかという事はさておきまして。。