柳美里さんが上野駅の近くのホテルに泊まり込んでまでホームレスの方たちとの会話を重ね、
「山狩り」と呼ばれる皇室関係者が公務で付近に来る際のコヤの移動にとりわけ焦点を当てて
公園口に生活する方たちを描かれた作品。
一人の男性の物語という形ですが、おそらく多くのホームレスの方たちの話を聞いて
たくさんの生きて来し方を一人の主人公に投影させたノンフィクションとしての側面も大きい作品だと思います。
「山狩り」という警察官とホームレス当事者、公園関係者等以外ではあまり知る人のいない制度が、
皇室の方たちが付近に来るたびに行われ、告知は早くて一週間前、二日前ということもあるという。
ダンボールやブルーシートで作られるコヤを張り紙で指示された期日と場所に従って移動する、
それは雨の降りしきる極寒の日でも行われる。
解説を書いていた原武史さんは、平成以降稀に見る皇室の権力について踏み込んだ作品だと解釈されていました。
主人公の男性は、何十年も家族のために出稼ぎに上京して仕送りを続け、
一度帰郷するものの息子と妻を亡くして再び上京しそのまま公園に住み着くことになった。
それぞれのホームレスの方たちにそれぞれの事情があって路上生活となったのであろうけれど、
集団就職や出稼ぎで東北地方から多くの方たちが東京に来て、
路上生活に行き着いた人たちがいる。
読み手の私自身、北関東の生まれなので、憧れの東京への入り口が上野駅というのはとても共感でき、
上野駅のホームレスには東北出身者が多いという事実に、
上野駅という場所の持つ哀しさがある。
1964年のオリンピックでは出稼ぎで競技場などを作る作業員として働いたけれど、
競技を見ることは一度もなかったという主人公が、
2020年のオリンピック招致のため、東京美化運動のためにホームレスとしての生活の場を追いやられていく。
ホームレスの視点から皇室とオリンピックがとても象徴的に描かれていて、
あとがきで柳さんも書かれていたように、
華やかで国民が希望と夢を抱いたオリンピックの、そのフィルターからは零れてしまう一端がそこにある。
やりきれないどんよりとした重さが読後感として残りますが、
どこかむしょうに上野駅が懐かしくもなりました。