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有料記事、リキューの方で投稿していましたがサ終すると言うのでこっちに引っ張ってきました。


2022年3月1日の投稿です。


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こんにちは。 


今日は高校時代に選択授業で取った茶道の授業が20歳になってすごく楽しかったな。懐かしかったなって思い出すようになったのでそれの思い出みたいな。 


茶道の授業って何してきたのとか、そういう思い出話みたいな感覚で話していこうかなって思う。 


----- 今回画像をお借りしたところはこのサイト

https://www.asoview.com/note/2797/ 


今はもう20歳だけど、3年前かな。 

高1の時に、選択授業で茶道の授業を選んだ。

 入学する前の説明会みたいなところで3つの科目から1つ選びなさいって言われてその時に茶道しか選べるものがなくて(多分その他は苦手とか大変だろうから)即茶道の授業を選んだ。 

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正直、雰囲気がすごく良かった。 

最後に言いそうなことを今言っちゃうけどすごく楽しかった。楽しい授業だった。 

ほかの学校とかにある茶道の授業とは多分違ったりすると思うけど、生菓子食べたり、茶道のお茶を点てる時とか一つ一つの作業が本当に楽しくて素敵でいい経験になったなって言う感じの授業だった。

他の人が待ってる間、携帯をいじってもよかったからいじってたけど、他の人との喋ってる時間とかも普通に楽しかった。 

自分で立てたお茶も美味しかったし、部屋から見える外の風景も良かった。

 下を見れば電車が通る線路があるし、遠くを見れば山がある。

 まさに茶道の雰囲気だなーって感じがした。 

当時は茶道はただ「あ、明日茶道だ!やった!楽しみだなぁー!」みたいな感覚だったけど、何年か経ってみると凄くいい授業だったんだなって自分で思ってしまう。

茶道は1年の時だけしか無かった。 

だから1年間だけしか出来ない特別な授業とも言えると思う。

 本当は部活も茶道があったんだけど、自分の通う学校は帰宅部も普通にあったし、早く帰りたかったから茶道の部活には入らなかった。 

それに、費用とかも授業でも5000円だったし、そこから更に部活入ってたら1万だったのかなって思うと、今思えば親に申し訳ないと思うし。

 自分の友達が部活の方の茶道に入ってたけどあとからになってやっぱり自分も入ればよかったかなーなんて思ったりもした。

文化祭の時、茶道部は品を出さなきゃだから、毎回文化祭の時に茶道部にいってたけどおもてなしで人にお菓子とか出さなきゃいけない姿を見て、人見知りで人間嫌いの私には無理だなって思った。

 だからこそ、もしかしたら選択授業での茶道の方が楽で良い授業だったって思えるのかな。 

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なんで急にこんな茶道の話をしようと思ったかと言うと、ふと茶道のことを思い出して茶道良かったなーって。

 茶道教室でも通おうかなーって思って調べてたりしてた。

 けど茶道教室通う前に早く仕事探せって感じで、とりあえず頭の隅に置くことになったんだけど、そういうのをずっと考えていたら茶道楽しかったなーって忘れないうちにこういうところに書いておきたいなーって気持ちで書こうかなって思った、

私は1年B組だったんだけど、A組が4人。B組が私入れて3人。合わせて7人いたかなー。 

最初はみんな毎回授業に出てたけど、単位とかそういうのがみんな怠けてきてから来たり来なかったりで部屋の中が人が少なすぎてスカスカになったり、時にはみんな授業に出てくれて座る所がぎゅうぎゅうになったり。

 そういうところでも自分はすごく楽しかったなーって思う。 

因みに自分は風邪をひいて止むを得ず学校自体休んだ時以外はガチで茶道の授業だけは毎週出てた。

 それくらい楽しくて、担当のおばあちゃんが優しくて。

授業内容は、初めに出席確認、それから生菓子食べたり。

そして次に自分で実際お茶を点てて飲む。

それをみんなが終わるまで待つ。

みんなが終わったあとはみんなで後片付け。

そして解散。6限目が終わるって言う感じだった。 

授業は毎週火曜日の5限と6限の2時間続きでやってた。 
5限と6限の間に休み時間が10分あるんだけど、その休み時間に当たる時毎回みんなお茶飲んでるか、茶釜とにらめっこしてるかそんな感じなんだよね。


勿論、休み時間や6限の終わりのチャイムと同時に茶道の時間が終わって欲しいってのは自分でもあった。 

休み時間なら早く友達と話したい。6限の終わりなら早く学校から出たい(学校が嫌いだったので)って感じだった。

 他のみんなも休み時間なのに終わらないと早くしてーとか、6限の終わりのチャイムが鳴ったのに1分くらいまだ終わってなかったりするとみんな早くー早くーってイライラし始めてた。

 みんながお茶飲むの終わった後にみんなで片付けるんだけど、毎回掃除機かけるの。
そういう、みんな役が決まってないから誰が何するとか決まってなくて何も出来ない人は部屋の隅に固まってるしか無かった。

 私もたまにそういうのがあった。

みんなで片付ける時間はちょっと嫌だったかなーって。 

そういった意味では少し部屋がスカスカ(あまり人が来なかった授業)の時はみんな一人一人出来ることがあったからその時は楽だった。 

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5限の始まりは13時35分からだった。 最初の時はみんな早く来てたけどだんだん慣れてからは遅刻したり欠席したり。 私は慣れてくると早く茶道の教室に着いてた。

 早く茶道の授業がしたくて、早くあの茶道の先生とお喋りがしたくて。 始まる5分前とかそのくらいに早く来すぎて先生にいつも早いねーなんて言われてたりした。

 それくらい早く茶道の授業がしたかったから。 こんなに茶道に興味を持つ人なんて自分の学校では滅多に居ないくらいに私は茶道の授業が好きだった。

一番最初の、手順を覚えたりする話はすると長くなるので省略。

 多分読んでいくうちにこういう風にしてたんだよって流れでわかっていくと思う(結局自分で言っちゃうので) 最初の時はみんなガチガチだったり、覚えることが多くて自分も一回目で好きだ!とはいえなかったけど。 

初回の授業の終わりに、隣にいた女子に声を掛けられLINE交換しようと言われた。(そこから仲良くなったけど今では連絡するツールがなくなって音信不通になり、疎遠になってる) 部屋には茶釜が4つ置いてあって、ひとつは先生、もう3つは生徒用。

 一気に3人して、2時間でだいたい6人。 

確か、余った時は来週やりましょうってなってたっけなーって今思った笑 私はもしかしたら来週しようねって言われたら発狂するかもしれんw(確かそんなことは無かった) 茶道の授業ですごく大変だったなーってのは袱紗の折り方とか。


他にも長方形の濡れ雑巾の畳むやり方とか。 

自分は慣れればすぐできた方なんだけど、隣の林檎(さっき言ったLINE交換しよって言ってくれた子)が、凄く手間かかってて隣の私がこうこうこうだよって教えてあげた。 

今では自分も袱紗の折り方とかもう忘れちゃったけど、今でも1回聞けばもしかしたら思い出すかなーって感じ。 

他にはまー後片付け苦手だったってのもあるし、 柄杓(ヒシャク)を、


(もうひとつデカい(茶を飲む茶碗のもう少しでかいバージョン)器があってその上に)置いて器ごと持って立ち上がる時、


腕は体にくっつけたまま退場(教室では畳から出る)の時に、毎回腕が体から離れてしまうのがめちゃくちゃ大変だった。 

器には常に茶碗を洗うための水が入ってるから重いし、軽い柄杓まで乗っかってるからバランス感覚が必要。

 そのまま(正座から)立ち上がって重い器の上にある柄杓を落とさずに、腕が体から離れないようにベタっとくっつけながら慎重に歩く。

 というのが難しかった。 
水まで入ってるし器自体結構重かったから落としたらどうしよう水バシャーーーー!!!やで。なんてあせあせしてた。

苦手だったところはそんなところで、最初の時はまずやり方だとかそれぞれの名前。
そして実際にやってみてって言う感じだった。

 最初の時の実験談とかは書く必要ないと思ってるから書かないね。 

何回か授業を受けてみんなが慣れてきた時期がすごく楽しかったなーって感じする。 

毎回お菓子が授業の最初に、大きいお皿に何個か生菓子とか乗せて端の人から順番に自分の分を取って行って懐紙(カイシ)の上に置いて食べるって言うのがあるんだけど、その時にたまに自分が早く茶室にくると、お皿にお菓子乗せてくれる?って先にお菓子見れたりして楽しかった。

 あと、これは私は出来なくてちょっと悔しいのだが、林檎の反対の隣の女子が生菓子を目の前にして写真撮ってたんだけど、あの時自分も写真撮ればよかったなーって後悔してる。

最近は生菓子食べてないんだけど、当時は茶道で生菓子を食べてから学校の近くにあるスーパーで生菓子が売ってたので学校帰りによく買って行ってた。

 茶道の授業で出る生菓子は、一見普通の生菓子なのに、茶道の授業で出てくるってだけで、それだけで雰囲気が出てきてかっこいいってなる。

 偶にお菓子のあまりが出てきて食べたい人いるー?とか聞いて2個目食べてる人とかいたけど私はどうだったか忘れちゃった。 

でも、生菓子1つとお茶だけでもうそれなりの雰囲気が出てるのって最高だよねー。


折りたたんだ袱紗(フクサ)を制服の横に付けて、茶筅(チャセン)やら道具を準備して、先生と一緒に一気に生徒3人とやる。

 覚えてる限りでは、畳の目を踏まないように歩いてって茶釜とか道具が置いてある前で正座をして、


棗のうえに茶杓を置いて、忘れちゃったけどそのまま立ち上がって進んで茶釜の所で正座して。


なんか正座したままお時期もした気がするんだよねー。 

どんな感じでやったか忘れちゃったから、覚えてるところだけ言うけど、 やっぱり茶筅でお茶を点てる作業が凄く好きだったなー


混ぜ方にも工夫みたいなこうやって点てるんだよーとか教えてもろた。

 あとは、棗の中に入ってる抹茶を多く入れたりね笑 あとは、確か袱紗を使って茶釜の蓋を開けるんだけどめちゃくちゃ熱すぎて(茶釜の中にはお湯が入ってるので)ギリ火傷したり。

 みんなよく触れるなって感じでみてた。


水差しの中には水が入ってて、お茶を飲んだ後に茶釜に入ってるお湯を1杯くらい水差しの中に入れてから水差しからまた一杯掬って茶釜の方に入れるーなんて手順があったよなー多分逆だけど。

 あとは、茶釜の所に柄杓をくるっと回してコツンって置くのがちょっと難しくてコツがいるみたいで慣れればできてきた。 

そうだ笑あの先生が柄杓を茶釜の所で乗せる時、「コツンだよ」って何回も教えてくれてたの思い出したw 

そして、点てたお茶を飲む時、すごく熱くてすぐには飲めなかった!w 

熱いけどすごく美味しくて全部飲みたかったけど、他の女子が飲む時の音すごーwって誰かに言っててそれがちょっと気になってあんまり飲めなかったり飲む時間が短かったりで飲める時もあれば飲めなかった時もあった(笑)

やっぱり袱紗を折るとき楽しかったなー。 

ほんとにガチで手順忘れちゃったからこれを投稿した後に調べてみようかなって思う。

 なんかもう袱紗のこと好きすぎて当時は風呂に入りながらタオルを正方形にして、袱紗〜〜なんちゃってみたいなことしてた記憶あるw 

自分の番が終わって、他の人の作業をしてる間、何もやってない人達はスマホとかいじってた。

 私もいじってた。あの時はツムツムに夢中だったなー。 

林檎とも、話してたりしたし、反対の隣の女子が結構ギャルみたいな今で言うまじJKみたいな。

 3人いたんだけど、いつもその子たちの話を盗み聞きしながら笑ってたりしてた。 

そういう時間も好きだった。

あとは、休み時間になると、私と林檎は茶室から出たり出なかったりで喋ったり。

 茶室の向かいにある空き教室の黒板で絵を描いたり外を眺めながら喋ったり。そういう時間も好きだった。 

さっき話した3人の他の友達が茶室に遊びに来たりしてた。 今思えば、茶道は勉強をしたくない人への楽な道だったのかなって思う。 

でも自分はそんな風には思われたくないなーって言うのが一つだけあったの。 

茶道は授業中自分の番じゃなければ携帯をいじっていいって言ったけど、休み時間の時に他の人が、この時間って携帯いじってもいいんだよーなんて言う話が同学年でちょっと広がってしまって、なんか、茶道の授業でのイメージが「携帯をいじってられる休み時間」みたいなイメージを持たされたなーって感じで少しもやっとした。

それに影響してなのか、次の年。 

私は2年で茶道は取れなくなった時に、同級生で同クラのちょい不良っぽくて勉強もしない男子生徒が茶道を選んでたのはキツかったなーって思った。 

確か2年の時は私は茶室の斜めにある教室でやってた世界史を取ってたんだけど、休み時間に一緒に授業取ってた林檎と、空き教室行く途中でスマホとかいじってる人がケッコーーーーーーーーーウ居たからもうこの授業はそういうイメージが出来てしまったのかなってちょっと悲しくなった。 

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さて、また1年の時の話に戻すけど、みんながお茶を飲み終わったあとは片付けしてた。 

茶碗を洗ったり掃除機かけたり物仕舞ったり。 さっき、私は片付けの時間が苦手って言ったけど、役割があれば大丈夫な訳で。 

その時に、偶に茶碗洗ってると目の前が窓で夏だと空いてる時があるんだけど、ちょうどレアで電車が通るんだよね。線路が近いから。

それがすごく気持ちがいいんだよねー、 茶碗洗ってる時とか片付けてる時に電車の音がすると、茶道の授業に似合ってるなーって感じする。 

そんで、片付けが終わってまた来週ねさようなら、でその日の授業、学校が終わるんだよねー。 

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当時は嫌なこととかあっても毎週火曜日の5、6限は茶道だ楽しみってなってて火曜日の1〜4限の授業だって頑張れた。 

偶に火曜日が4限で早上がりとかで茶道が無くなることがしばしばあった。 
そんな時は少しテンションが下がってたかなー。 

今思うと、自分の高校生活の中で1番楽しかった授業って茶道なんだよね。 

勉強しなかったのはもちろんだけど、あの1年間を通して、今思い返してしまうほど大切だった授業であり特別な2時間だったなーって思う。 あの時茶道の授業を選んでて本当に良かった。

そろそろ終わりにするとしよう。 

もしかしたら話忘れとかもあると思うからそういうのは、無料記事のアメブロの方で言うかもしれない。

 盛りだくさんだったか残念だったかは分からないけど自分からしたら自分の中にある記憶や思い出がこういう文字に変わって遺せたらそれでいいんだ。

 文字数がだいぶやばいと思うので今回はここら辺までにしよう。 

サムネがアメブロバージョンになってるから、明日以降、リキュー版のサムネでも作って次回からそっちを使おうかなと思います! 

では、また。