貞享元年(1684年)8月28日。
江戸城本丸の御用部屋(老中達の部屋)付近の廊下にて!
大老の堀田正俊(51)が、若年寄の稲葉正休(45)に殺害事件が発生。
正休自身も同席していた。
老中 大久保忠朝・阿部正武・戸田忠昌らに
、メッタ斬りにされて殺される
その後稲葉家は、改易処分となった。
このような刃傷・殺害事件にて!
加害者が捕らえられずに、その場で斬殺された事例は前例は無かった。
その為、稲葉がどういう動機で、犯行に及んだのかは謎の侭。
水戸光圀はこの点で、老中達を問責。
しかし満足な解答は得られず、
事件の真相は闇に、葬られてしまった。
其れから時が経ち。
元禄14年3月14日(1701年4月21日)。
江戸城殿中松之大廊下にて!
赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)が、高家肝煎・吉良義央(上野介)に刃傷に及んだ。
この一件で加害者と、された浅野は即日切腹となり。
被害者とされた吉良は、お咎めなしとなった。
この刃傷事件も謎の侭だが!
残念ながら、水戸光國公は前年 元禄13年12月6日(1701年1月14日)。
食道癌にて死去した。
享年73(満71歳没)。
もし堀田正俊刺殺事件の、真相を明らかにシテいれば!
まだ光國公が御存命だったら。
松之大廊下の刃傷事件・吉良邸 討ち入りも、未然に防げた筈だったろう。
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