2011年(平成23年) 3月11日(金)。
全ては、この日。
俺の運命を変えせられた、とある悲劇。
東日本大震災。
東日本大平洋側を、津波に飲み込まれた。
其れは一瞬の出来事。
だったであろう。
そして、その頃。
俺の運命も、思わぬ事態になろうとは・・・。
俺は、その当時、マンガ喫茶に居た。
最初は揺れが大きく。
随分、デッカイ地震だなあと、他人事に思っていた。
その後、マンガ喫茶を出て、街の雰囲気に、少しながら、違和感を覚えた。
その頃、俺はビジネスホテル。
まあ、ビジネスホテルとは、名ばかりで、4人位が四畳半一間に、押し込められた様なモノだった。
その部屋は、2段ベットが、2つ程アリ。
俺は、その上のベットで、寝ていた。
そのビジネスホテルに、戻った頃。
事の顛末が、最悪の事態で、ある事を知る。
津波、そして原発事故。
俺の故郷(福島県)が、大変な事態に、なってしまった事。
しかも、後で同じ入居者の方に、聞いてみたら、俺のベットに、テレビが転がったらしい。
しかも其れは、俺の頭にしてる方角。
つまり、その日、俺は外出して居なかったら、生命を落として、居たかもしれない。
だが、其れよりも、ある問題を抱えていた。
其れは、独り暮らしする為、どうしても保証人が必要だった。
俺は、全てを覚悟の上で、故郷に居る親族に連絡しようと、考えていた。
だが其れも困難な状況。
イヤ、それどころではない。
俺は、ケースワーカーと相談。
その時が「NPO法人 もやい」との、係わり合いとなった。
其れから、親族とは、音信不通になってしまった。
そして俺も、精神的に参っていた。
全ては、あの事故がなければ・・・?
だが、あの事故が、俺の人生を良くも悪くも、変えていったんだ。
生きてる者。
其れは、後世の為、歴史の行き証人として、其れを伝える義務がある。
俺は、そう思い、書き綴りました。
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