11:30、俺はサロン・ド・カフェこもれびに来た。
先ずはランチ。
今日のメニュー。
三色丼・エッグポテトサラダ・豆腐と若布の味噌汁。
彼を待つ事30分、やっと彼が来た。
彼の名を、仮にA君(たぶん大学生だと思う)としよう。
簡単に言えば、何等かの論文なのかも、しれない。
とりあえず彼、A君の質問に答えた。
俺は、前編・後編と分けた。
その方が何かと、都合が良い。
また、前編・後編の間は、故郷(福島県)居たから、その方がスムーズに説明出来る。
とりあえず前編は、駆け足。
この部分は、以下省略、させてもらいたい。
本編は後編。
後編は、実家の農家の手伝いを、していたが、其れ丈では、何かが物足りない。
地元には、イイ仕事先もないし、再び上京。
最初は、自動車工場の派遣社員として、働いていたが、上司と反りが会わず、たった4日で退職。
その後は、建設作業員として働いた。
たが、その作業員も、入ったり止めたりした。
工場の派遣社員も、そうだが建設作業員の時も、皆、住み込みの寮に、住んでいた。
だから、仕事を止めれば、当然ホームレス。
そんな繰り返しだった。
だけど、不況が酷くなり、俺は生活保護の世話になる事となった。
まあ、こんな経緯等を説明した。
ただ何せ、二時間近い程の取材だから、説明すると長くなる。
ただ、A君に一言、伝えたのは、俺は生きる証し・行き証人として、後世に伝えたかった。
その為に、取材を引き受けた。
その後、A君が、どう解釈し、どう纏めるかは、A君に任せよう。
取材を終え、おやつ(桃のコンポート in ゼリー)を、食べて、暫くこもれびに居た。
その後、俺は、こもれびを後にし、大江戸線に向かった。
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