「オリザニン」と、言う言葉に、聞き慣れない人が居るだろう。
実は、このオリザニンを、発見したのは、東京帝国大学教授 鈴木梅太郎。
世界一、ビタミンを発見者した、農民学者(森鴎外が蔑んで言った言葉)。
当時 日本陸海軍の兵士が、脚気にかかり、原因不明のまま、死亡することもあった。
この事態を、重く見た研究者は、原因究明の研究を進めていた。
鈴木梅太郎も、その一人だった。
まず、鈴木梅太郎は、米糠に含まれる成分に、着目した。
1910年、米糠のアルコールエキス、アベリ酸の分離に、成功した。
1911年、ポーランド人の、カシミール・フンクが、ビタミンの名で、既に発表。
実はビタミンも、オリザニンも、同じ物質。
しかも発見の方は、鈴木梅太郎の方がはやかったが、発表の方は1912年。
つまり、この差が、この後に運命付けられた。
最初に発表された、フンクのビタミンが、やがてビタミンAとなり、鈴木梅太郎のオリザニンが、ビタミンB。
もし発表がオリザニンが、早ければ、その名の順位が、変わっていたかもしれない。
ビタミンAがオリザニンB。
ビタミンBがオリザニンA。
そんな風に、なっていたかもしれない。
だが、鈴木梅太郎とって、AとかBとかは、関係のない話、かもしれない。
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