江戸中期、17世紀終わり頃~18世紀初頭にかけて、上方を中心に発展した文化。
その時代の元号を、とって元禄文化と呼ばれた。
この時代は、華やかな文化の隆盛期だった。
文芸、学問、美術・工芸、音楽などが、発達し、元禄バブル真っ只中だった。
戦乱の世の殺伐とした気風を排除し、徳を重んずる文治政治を推し進めた。
つまり、刀を捨て、学問、とくに儒学を推奨した。
中には、刀を本当に捨て、竹光の刀を指して者までいた。
だから、この時代、辻斬りが激減した。
でも、竹光の刀で、辻斬りする奴はいない。
こうして武士は、草食系化していった。
元禄文化前期は、好景気で沸いていたが、後期になると、事態は一変する。
地震があったり、諸国の洪水が頻繁にあったり、奥州では飢饉があった。
江戸・京都辺りでは、大火が興るなど、だんだん景気が、冷え込み始めた。
新井白石は、元禄8年(1695年)以来始めた貨幣改鋳も、不況の一因となった。
だが、それより、武士の草食系化。
草食系武士の増加が、危機管理を、失わせた事も、原因もあるかもしれない。
生類憐れみの令は、元々は善政だったが、その政策が行き過ぎだった。
だが綱吉自体が、草食系だったかもしれない。
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