クムラン | ひろっさくんのブログ

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『ごーしちご』復活












「死海文書」を、みなさんは、ご存知だろうか。




1947年、羊飼いの少年が、クムランの洞窟に、ある壺を発見時代。




壺の中には、羊皮紙巻物が入っていた。




その後、クムランの洞窟には、銅版巻物を、含む多くの文書が、出土したのだった。




これが所謂、後に死海文書と、呼ばれるものとなった。




なぜ死海文書と、呼ばれるのか?




発見された、クムラン遺跡は、死海を臨む台地に、位置していた為だった。




それが死海文書と、呼ばれる所以と、なった。




この遺跡は紀元前2世紀頃、建造されたものとされてる。




東西約80㍍・南北約100㍍の、規模らしい。




此処には、戒律に厳しいと言われる、ユダヤ教 エッセネ派「クムラン教団」の人々が、住んでいた。




主に、ヘブライ語で書かれた、この文書。




この中に、「旧約聖書」の最古の写本も、含まれていた。




写本の製作者と、見られるクムラン教徒の教義は、原始キリスト教に、近かった。




つまり、この地が、キリスト教の発祥地?




だったかもしれない。




謎の多いクムラン遺跡。




今後、どんなものが、新たに発見されるか、注目される。












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