中国の歴史家 司馬遷という、人物は知らない者は、まず居ないだろう?
父の司馬談から受け継いだ、史記を編纂する為に、宮刑(李陵の禍)を受けた。
宮刑とは、男性のシンボルを、切り取る刑である。
その為、司馬遷は、宦官だと言われてるが、別な説では、宦官ではないとも言われてる。
それは宮中に、上がることは、殆どなく、ただ只管、史記の編纂を続けていた。
それは、司馬遷なりの意地が、そうさせたのか、それとも政に嫌気がさしのか?
何れにせよ、司馬遷にとって、生き恥晒しても、史記の完成させる事が、司馬遷の使命であったろう。
そのかいあって、史記は完成し、やがて史記は、歴代の歴史家はおろか、軍略家などなどが、愛読書になっている。
その後、中国では、歴代の変わり目に、歴史書が編纂され、二十四史が編纂されてる。
つまり史記は、中国の歴史編纂の先駆け、だったのかもしれない。
そして司馬遷は、歴史の名を残すのであった。
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