1958年、フランスの支配から、独立したギニア。
フランス大統領 ド・ゴールは、第五共和制を宣言した。
だが、それに昂然と反対したのが、ギニア 初代大統領セク・トゥーレだった。
セク・トゥーレは 「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」と名言を残したと言われてる。
第五共和制に反対したギニアに対して、フランスはギニアの援助を、打ち切ったばかりか、破壊のかぎりをつくした。
その上、国土台帳などの書類や公共施設にあった備品と、ありとあらゆる物を、全てフランス本土に持ち去った。
そのせいでギニアの国境線が曖昧になってしまい、その地図作成に、日本人測量隊がする羽目になった。
ギニアの独立から二年後、1960年にアフリカの年が興るが、その多くがフランスの植民地だった。
ギニアの独立が、大きな影響を与え、仏領アフリカ諸国の独立を承認した。
つまりフランスは、いい加減で適当な政策で、ギニアばかりか、この日本まで、振り回しのである。
本当にフランスは、迷惑な国である。
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