横綱への道は、狭き門だ。
この表現は、少し誤りがある。
新約聖書にこんな一文がある。
新約聖書
「マタイによる福音書」 7章13節
狭い門から入れ
滅びの門は大きくその道は広い
そしてそこから入って行く者が多い
命に至る門は狭く、その道は細い
そして、それを見出す者は少ない
大同迎合には流されずに、正しき考えの元に、自分の道を貫け。
確かに、横綱は、自分の考えの元に相撲道を突き進むかもしれない。
だが、それは他の力士も同じ事。
ただ力量の違いだけ。
その力量の差が、横綱になれるか、なれないかの事。
でも、沢山の力士から、横綱にあがれるのは、やはり狭き門か?
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