万里の長城世界遺産にも登録されてる、万里の長城。元々は戦国時代に、外敵に備えるために、戦国七雄のすべての国が、長城を建設していた。つまり北方遊牧民族に、接しない斉・韓・魏・楚にもあった(その後、中国を統一した秦の始皇帝が、取り壊した)。戦国七雄の覇者となった、秦の始皇帝は、秦の他、趙・燕の北方の長城を、大土木工事で、これらを繋ぎあわせた物。そして今ある、万里の長城は、明代のもの。因みに、長城の東端は海、西端は川、両端は、水辺で始まり、水辺で終わることになる。Android携帯からの投稿