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クロウヴィアンの独白

 

 私の名はクロウヴィアン。強くて美しい女の魔族……半霊半物の闇の眷属よ。二代目『イニシエのオロチ』の地位と力を手に入れるべく、左側の雌・ソレダドニアを合体吸収してやったわ。無論、残り半分、右側の雄・長沢士紀も獲得するつもりだけど、それはすぐというわけには行かないわね。ソレダドニアの肉体と魂が私の中で馴染むまでもうしばらく時間が必要なの。

 そんな事情で、私は錦野統という高校生に化けて、現在充電中というわけ。配下の魔族を森泰造と合体させた上で体内に生体エネルギー吸収装置の『D-BCM237』を取り込ませ、学校中の生徒職員からせっせと吸い取った生体エネルギーをたらふく頂戴して英気を養っているところ……だったのだけど……。

 思いの外、長沢士紀の追撃は早かった。信じられないわ。諌波探偵社のみならず、十兵衛姉妹に、挙句の果てはマスターファイター・カーカスまで味方につけるなんて、ズルい(unfair)にも程がある、不公平(unfair)この上ないったらありゃしない。瞬く間に森泰造が斃され、『D-BCM237』も破壊されてしまった。これでもう私は自前の能力でエネルギーを蓄えるしかなくなってしまった……とんだ迷惑だわ。

 しかも、錦野統の正体が私・クロウヴィアンであることも露見してしまったのだから、もうモタモタしていられないわね。こちらから打って出て攻撃を仕掛けるのが得策だわ。幸いこちらには武器がある。森泰造の体内に一度取り込まれた道具は“半霊半物”に変化させることが可能なの。森が死ぬ前に幾つものエアガンやナイフ、模造刀等々を“半霊半物”化しておいたから、これらの武器を使えば、“半霊半物”の滝口義介、長沢士紀両名に深手を負わせて制圧できる筈よ。そして、十兵衛相手に剣では文字通り太刀打ちできないから、エアガンを使えというのが“ミレディス”の作戦よ。生徒を襲撃するなら、授業中が最も確実であるというのも、“ミレディス”の入れ知恵なの。

 一つ懸念があるわ。奴らが使っている“ミレディス”、どうやらフルスペックの『パーフェクト・ヴァージョン』という代物らしいのね。私のは市販されているものの中では最高水準なんだけど、それでもまだアクセス不能な情報やプログラムがあるのよ。『パーフェクト・ヴァージョン』ならば、それらも駆使できるみたいなのね。即ち、持っている“ミレディス”の差によって、私は今、やや押され気味になってしまっているのかもしれないということなの。この劣勢をいかに挽回するか、大きな問題だわ。

 そうだ! 一つ閃いたわ! こういうアイデアの閃きだけは所詮コンピューターシステムに過ぎない“ミレディス”には到底真似のできないイノチの神秘ね。

 “影武者の諌波探偵社”が出張ってきているなら、影武者には影武者で対抗してやるまでだわ。クロウヴィアンが錦野統だと思いきや、実は鈴木友吾の方だったりすれば、奴らの意表を突くことができるわよね。更には、錦野と鈴木の間を行ったり来たりしてやれば、ソレダドニアと心身が繋がっている長沢も、共感能力のある十兵衛も混乱してわけがわからなくなってしまうでしょうね。うふふふ……我ながら旨い作戦だわ。

 

 

   ◇

 

 授業をサボって視聴覚室に隠れていた倉井(=士紀)も厳美も、ソレダドニアを吸収したクロウヴィアンの気配を敏感に感じ取っていた。追尾するのはさほど困難ではない。

「おそらくはこれが最後の戦いになるだろうな」

 倉井(=士紀)は呟いた。

「もう他人に成り済ます必要もあるまい」

 倉井仁志の肉体から長沢士紀の霊体が離脱した。倉井少年はそのまま机に突っ伏して寝入っている。士紀は“半霊半物”の己の肉体を顕現させ、予め用意してあった私服を手早く身に着けた。滝口の方は既に変身を解いて、すり替わっていた山本昇二本人に教室へ戻って普段通りの高校生活に復帰するよう連絡済みだった(但し、校内ではその方が目立たないということで学生服着用のままである)。

「じゃあ行くぞ、十兵衛」

 滝口は勢いよく椅子から立ち上がった。

「うん……」

 緊張した面持ちで厳美は頷いた。手にした“半霊半物”の木刀(袋入り)をぎゅっと握り締める。視聴覚室を出た三人は、校舎の屋上へ向かった。

「何かしら罠が仕掛けてあるかもしれねえから、気をつけろよ」

 低い声で警告を発する滝口。

「当然だ。絶対に油断したりはしないさ」

 士紀がきっと唇を引き結んだ。屋上へ出るドアを開くと、錦野統と鈴木友吾が並んで立っていた。

 

 士紀と厳美はゾッとした。錦野も鈴木も同じくらい濃厚にクロウヴィアンの匂い……波動を放っていたのだ。これではどちらが本当のクロウヴィアンなのか判定できない。

 

 

   (26)

 

「ようこそ、諸君」

 錦野統が薄笑いを浮かべて言った。

「どちらがクロウヴィアンか、わかるかね?」

「ううっ。どっちだ?」

「わかんないよ」

 戸惑う士紀と厳美。

「男にも女性ホルモンがあり、女にも男性ホルモンがあるのとちょうど相似象で、サヌキである男にもアワがあり、アワである女にもサヌキがある。だからアワ量の多いなよなよしたアワ男やサヌキ量の多い男勝りなサヌキ女というのも、巷にはごくありふれて存在しているが……この場合はしかし……」

 士紀が困惑を隠そうともせずに長台詞を──しかも、いささか意味不明な──口にした。

「こんなのはどうだ?」

 錦野と鈴木は顔を寄せ合い、唇を重ね合わせた。

「うげっ! 気持ち悪っ! 何やってんだよ、あんたらっ!」

 身震いする厳美。彼女にはBLを楽しむ素養は欠片もなかった。

「今、クロウヴィアンは、さっきまでの俺と同じように霊体と化しているみたいだな。その状態で錦野と鈴木の間を行ったり来たりしてるんだろう。だから、両者共に同じくらいクロウヴィアンの気配が感じられるんだ」

 士紀はそう解釈した。

「それで今はどっちなの、士紀くん? 相方さんの波動なら、士紀くんの方がより的確に感じ取れる筈でしょ?」

「わからん……」

「ええい、面倒臭えな。両方ともブッ倒しちまうか?」

 滝口が気短に拳を構えた。

 

「うぐっ!?」

 突如、鈴木友吾が呻き声を上げた。顔を押さえる左手がぶるぶる震え、苦痛に表情が歪んでいる。

「あれは……“塞ぎの虫”だ!」

 士紀が叫んだ。鈴木の左目の辺りから黒いモヤモヤした煙状もしくは霧状のものがおどろおどろしく湧き起っているのだ。それは、かつて『スペインの魔導士』と呼ばれたアルマンド・アルテリオ・ガルシアを取り込んだ際に一緒に継承してしまった、かの魔導士の魂に巣食ったカルマであった。

「クロウヴィアンは鈴木の方だ! さすがはソレダドニアの姐さん! これ以上わかりやすいメッセージはないぜ!」

「痛い! 痛い痛いっ!」

 鈴木(=クロウヴィアン)はのた打ち回って悲鳴を上げ続けた。

「どうしたよ、クロウヴィアン? ソレダドニアを吸収して支配しているのなら、“塞ぎの虫”が湧いた時の対処法だってわかる筈だろ? さっさと『治療』したらどうなんだ?」

「そんなの知るかよっ! ぎゃああああああああっ!!!!」

 鈴木(=クロウヴィアン)はなす術もなく苦しんでいる。

──やはりそうか……その様子だと、ソレダドニアの知識を自由に吸収しきれてない……ソレダドニアに抵抗されて……。

 士紀の眼差しに力が漲った。

──凄え! 本当に凄えよ、ソレダドニアの姐さん!

 感動のあまり、士紀のうなじの毛が逆立っていた。

──ギリギリのところで逆らって、クロウヴィアンの完全支配から逃れているんだ! さすがは俺のソレダドニアだ! 待ってろ、姐さん、今すぐ俺が力を貸すぞ!

「ぶった斬れ、十兵衛! 遠慮は要らん! 首を刎ねろ!」

 士紀の要請に呼応して、厳美は木刀内部の仕込み刀を引き抜いた。刃入れはされていないが、“半霊半物”と化している鋼の刀身は、同じく“半霊半物”の生き物には多大な威力を発揮する。厳美のように強い霊力を持つ者が使えば尚更である。

 厳美の心には恐怖心も罪悪感もなかった。ただひたすら、『何としてもソレダドニアを取り戻す』という士紀の断固たる意志に純粋に共感していた。一切の雑念を払い除けて、無念無想の境地で刀を横薙ぎに振るった。

 鈴木友吾の頭部が飛んだ。大量の血と“塞ぎの虫”を撒き散らしながら。

 長沢士紀の肉体が形状を失ってどろどろの液状になり、鈴木の首と胴体を接着した。そのまま、鈴木の肉体も溶けたように崩れていった。しばらくはぐずぐずぐにゃぐにゃとのたくるように起伏を繰り返していた肉塊が、くねくねとうねる大蛇の姿になっていた。それに伴い、鈴木友吾の肉体が異物として弾き出されるようにして、床に倒れ込んだ。少年の目はうっすらと開いた状態で視線が朦朧として揺れていたが、何とか無事に生きている様子だった。

──士紀!

──姐さん!

 大蛇の内部で、ソレダドニアと士紀の手が重なり合った。

──どうした、クロウヴィアン? 何を怯んでいる? これが、初代『イニシエのオロチ』から伝授された、“塞ぎの虫”を祓う技法さ。『明けの光の神』……アケノ様のイメージに導かれて“塞ぎの虫”を“諌波の光”に変換する。この技法を使いこなせることこそ、『正統派』の証なんだ! いくらあたしらの肉体を乗っ取ろうとも、所詮お前は紛い物さね。ほら、あんたのパワーもどんどん“諌波の光”に変わっていくよ。さよなら、クロウヴィアン……我らの一部となって消えておしまい。

 やがて大蛇は人の形態に移行して、黒木京子の姿になった。滝口は全裸の彼女に詰襟の上着を掛けてやった。

 

──馬鹿だねえ、お前さん。これじゃあ、もう二度とえっちできないじゃないか。

──離れ離れになるよりはマシさ。

──そうだね……。

 ソレダドニアと長沢士紀は完全に融合して一体化した。以後、二代目『イニシエのオロチ』は、『一つ首の大蛇』という異名を持つようになる。

 

「世話になったな、十兵衛」

 校門の前で、ソレダドニアは柳生厳美の頬に触れた。ソレダドニアは滝口の同僚の山下佐知恵が持って来た女物の服を身に着けていた。

「本当にありがとう」

 ソレダドニアの手から長沢士紀の心が伝わってきた。共感能力のある厳美の脳裏で士紀が微笑んでいる。

「うん……」

 厳美も頷いて静かに笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、元気でね」

 少女に見送られつつ、ソレダドニアは去っていった。

 

 

   (27)

 

   エピローグ

 

「やはり、ちゃんと正式に結婚すべきだ」

 山野立と源出美は、双方の両親の、真っ当な大人としての意見を素直に受け入れ、高校卒業後、役所に届け出をして入籍した。

 浜嶋モータース店長の金谷修造が二人と両親たちのためにささやかなお祝いをしてくれた。知人が経営するレストランを半日貸し切りにして、立食形式の肩の凝らないパーティーに立と出美の親しい人々を招待したのだ。

 多くの友人が駆け付けた。諌波探偵社の鈴木三郎、正兼真治、滝口義介、山下佐知恵。板倉珠美、永原カレン、本中楽美、林みみな のエンジェル探偵団。フィアンセと一緒に柳生三代刑事、妹の厳美も。先輩ファイターの築山浩輔。添野博士に藤枝教授。地元サッカーチームの小学生たち。そして……。

「ふうちゃん!」

 目敏く見つけた出美が歓声を上げた。仲木風香は天次律志と手を繋いでいた。駆け寄ってくる彼女はピンク色の可愛いワンピースがよく似合っている。

「おめでとう、出美ちゃん! よかったね。本当によかったねぇ……!」

 泣きながら風香は出美の手を握り締めた。

「ありがとう、ふうちゃん!」

 出美も感涙を溢れさせながら風香の手を握り返した。こんなに表情豊かな風香を見ることができてとても嬉しかった。

「それでふうちゃん、子守りでもしてるの?」

 出美は律志を見やりながら尋ねた。

「ええ? なんで?」

 きょとんとする風香。

「だって、この子……」

「やあねえ。律志はわたしの彼氏。恋人よ」

 風香はデレデレと笑み崩れて律志の腕を抱え込んだ。

「駄目じゃない、ふうちゃん……子供に手を出したら……」

「ええー? 律志は子供じゃないよ。わたしより三十歳くらい“年上”だよ?」

「うそ……」

「まあ、そういうこともあるかもしれないね」

 と、立。

「じゃあ、ふうちゃんもおめでとう、ってことだね」

「うん、ありがとう」

 誰もが幸せな気分に浸っていた。

                      (終)