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超絶福運男

 

 株式会社『何でも屋福善商店』投資事業部部長・田中雄一は、副部長の梅谷利裕及び部下の内村創太(うちむら・そうた)と共に行きつけのスナックで飲んでいた。

「うぎゃああああああああ~っ!!」

 携帯を見ていた梅谷がいきなり悲鳴を上げた。

「なんでこのタイミングでポンドルが急落してんだよおおおおおおっ!?」

 当時はまだスマートフォンが普及する前だったが、携帯電話で株価や為替のレートやチャートをリアルタイムでチェックできるようにはなっていた。

「だからっ! ストップロスはわかってんだようっ! ストップロスを誘発するほどの売りが出た理由を知りたいんじゃねえか! 月末要因か? 違うな……大口の仕掛けが入ったのか? あああ~っ! わかんねえよっ! どうすりゃいいんだ全く!」

 脂汗をダラダラ流しながら、梅谷はイライラと頭を掻き毟った。

「まあ、落ち着きなさい、梅谷くん」

 悠揚迫らぬ態度で、雄一はゆったりと構えて水割りを啜っていた。

「ついさっきディーリングルームの杉山くんに電話してポンドドルのロングはなるべく手仕舞っておくように指示しといたからさ。それが無理ならヘッジだけはしとけってね」

「へっ?」

 梅谷と内村は驚いて愚かしい表情になった。

「どうしてポンドルが下がるってわかったんですか?」

 内村が尋ねた。

「いやさっきね、神様が耳元で囁いたんだ。『ポンドドル、下がるよ』ってな」

「うわははははっ! また田中さん物凄い嘘吐きますよねえ!」

「バレた? あっはっはっはっ!」

 ゲラゲラ笑い転げる二人とは対照的に、梅谷は依然として青ざめている。

「あ、次俺の番だ」

 大画面のモニターを見た雄一は腹を揺らしながら立ち上がってマイクを握った。彼のカラオケはなかなかの美声だ。一曲歌い終えて、自分の携帯を覗き込んだ。

「もうそろそろ値動きも落ち着いてきたんじゃね?」

「ああ……そうだな……」

 梅谷はまだ死にそうな顔をしていた。雄一は電話をかける。

「あ、杉山くん? 御疲れ様です。どんな感じ? ……ふむ……ふむ……で、大体幾ら損したの? ……ほう……ほう……」

 雄一は指で数字を作って見せた。途端に梅谷が安堵の溜め息を漏らした。

「慌てて取り返そうとしなくていいからね。……うん……じゃあ、後のことはよろしく……はい……はーい」

 パチンと閉じた携帯を胸ポケットにしまう雄一。

「ほう~っ……助かった……これでどうにか首が繋がった……」

 崩れるようにソファに体を沈める梅谷。

「まあ、ヤッちまったもんはしょーがねーよ。気持ちを切り換えてまた明日から頑張るとして、今夜は思いっきり飲もうっ!」

 雄一はグラスを突き上げた。

「おおーっ!」

 内村も真似をして喚声を上げた。その後、酒席は大いに盛り上がった。

「あ……」

 不意に内村が呟いた。

「ひょっとしてポンドルの下落って、ウチの手仕舞い売りが原因じゃ……」

「あ……」

 雄一と梅谷も目が点になった。

「なにしろウチも今やそれなりの規模を誇りますからねえ。『ベラ・グループ』並びに大口投資家さん達の資産も一手に引き受けてるわけですから……」

 雄一と梅谷はしばらくお互いに顔を見合わせていたが、

「まあ、ヤッちまったもんはしゃーねーよ! 内村くん、飲め飲めっ!」

 大騒ぎはまだ続くのであった。

 

 

 

 未明にへべれけになって帰宅した雄一が妻エルケにこっぴどく叱られたことは、まあ、大方のお察しの通りであろう。

 

 

 

 雄一の災難は続く。投資事業部の運用担当者の一人が顧客の預かり資産を着服して逃亡したのだ。緊急時のマニュアルに乗っ取って即座に対応し、尚且つ、雄一は諌波探偵社に犯人の追跡を依頼した。顧客の多くが『ベラ・グループ』の株主や上得意先のため、八代梨花CEOに電話したが連絡がつかず、雄一は平輝美の番号をプッシュした。

「くれぐれもお客様に損害を与えないように努力して下さい」

 『ベラ・グループ』の真の支配者であり、八代CEOの師匠であると噂されている“謎の美女”・平輝美はそう厳命し、損失は『ベラ・グループ』に集約した後で何らかの補填を行うつもりだと告げた。

 その日の夕方には諌波探偵社が逃げた男を捕まえてくれた。ギャンブルや豪遊で無駄遣いしたという六千数百万円は間に合わなかったが、それ以外の大半は『ベラ・グループ』鉄壁の防衛システムにより即座に不正送金がストップされていたので、あと幾らかの流出済みの金額を無事に回収し終えて今回の一件は落着した。

「あなた、なかなかやるわね」

 雄一は平輝美に褒められた。

「いや、そんな……たまたま私はツイていただけで……」

 褒められるほどのことではないのだと本気でそう思っていたので恐縮してしまった。だが、それをきっかけに雄一は平輝美に気に入られ、旨みのある仕事の幾つかを優先的に雄一の部署に回して貰えるようになったのである。

 

 

 

 とある休日、エルケと遠出をして高原を散策していた時、雄一のすぐ目の前に突如雷が落ちるという恐怖体験をした。エルケと震え上って抱き合った。

 

 

 別の休日、街中をエルケとぶらついていた雄一の目の前で、大型トラックとダンプカーが正面衝突した。エルケと震え上がって抱き合った。

 

 

 

 おそらくは闇の眷属共の攻撃であろうと、エルケは推測していた。驚くべきは、それら全てを紙一重で回避してのけた雄一の悪運の強さである。内心いつもハラハラしている妻の心配をよそに、今日も田中雄一は元気で陽気で、快食快便、快性(そんな言葉があるのか?)、快眠、顔色も肌つやも良く、完全無欠の健康優良児であった。

「ウチの人はもうほとんど不死身です……」

 エルケは苦笑した。