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 瑞南渚の葬儀から帰った長沢亜衣は、その夜から立原邸の住人となった。まずは他の家族を中崎家と立原邸で降ろし、純は自分の軽自動車に沙耶と亜衣を乗せて、亜衣のアパートへ行った。取り敢えずは次の土日の引越しまでに必要な着替えや生活必需品、学校の教科書や文房具類等を持ち出すためだ。女性の部屋へ入って荷造りするので、純は車で待機だ。

 亜衣はスキンシップを好む少女だった。荷物を手渡したりする際に沙耶の手をきゅっと握ったり、近寄る度に肩を寄せ、沙耶の背中や腰に手で触れた。亜衣の方が十歳年下だったが、僅かな遣り取りの間に『沙耶ちゃん』と呼ぶようになった。

 

 

 

 翌日、亜衣は真作と一緒に登校した。医院で準備をする沙耶が何気なく窓の外を見ると、亜衣の方から手を繋ぎ出したところだった。

──あらあら、若いっていいわね。

 微笑ましく感じる沙耶だった。

 

 

 

 そして夕方、金井美沙と小野衣の面接が行われている間に帰宅した亜衣と真作は医院の待合室で小杉太一・春菜兄妹と一緒にゲームに興じた。明るい二人は子供たちとすぐに打ち解けた。

 兎にも角にも、新参者の長沢亜衣は瞬く間に家族として馴染んでしまったのであった。

 

 

 数日後の朝、立原邸の廊下を歩いていた沙耶は、真作の部屋から手を繋いで出て来た亜衣と真作と鉢合わせになった。

「あ……沙耶ちゃん……おはよ……」

 亜衣は照れ笑いを浮かべた。真作はすぐさま手を振り解こうともがいたが、亜衣は放そうとしなかった。

「ちょっと……あなたたち……」

 沙耶はどぎまぎしながら口籠もった。どうにもばつが悪くて居心地が悪い。

「ああ……あの……わたしたち……真剣に愛し合ってるの。将来結婚するつもりだし……ね、真ちゃん……?」

「う……」

 真作はぎごちなく強張っている。その煮え切らなさに腹を立てた亜衣は、

「『ねえ、真ちゃん?』ってば!」

 という問いかけを繰り返し、

「あなたの大切な“お姉さん”にちゃんと話して!」

 と、確答を促した。

「あ、ああ……そうだよ……オレたち将来結婚するんだ」

 真作が頷いた。

「で、でも……」

 沙耶は思っていることをはっきり口に出せずにいた。

「あら、何よ? 沙耶ちゃんだって、純くんの部屋から出て来たくせに。ホント、えっちなんだからもう」

「わたしたちはいいの! 大人だし、夫婦だし!」

 真っ赤になりながら沙耶は抗弁した。

「ちなみに沙耶ちゃんたちは高校時代、どうしてたの? 純くんとは子供の頃から許婚だったんでしょ? 初体験なんて中学の頃かな?」

「な、な、何を言ってんのよっ!」

 ますますしどろもどろになっていく沙耶。

「うー……わかったわよ……確かに、わたしは人のことをとやかく言える立場じゃないけど……でも、これだけは約束して」

 沙耶は依然として頬を赤らめてはいたが、もう視線を逸らさなかった。

「高校在学中は子供ができないように気をつけること、それから、恋愛にうつつを抜かして成績が落ちたりしないようちゃんと勉強すること。この二つだけは絶対に守ると約束してほしいの」

「約束するわ。そして、絶対に約束を違えたりしないと誓うわ」

 亜衣は沙耶の目を真っ直ぐ見て返答した。

──ほお、この子、なかなか……。

 沙耶は少女に対して、ただ愛らしいだけではない、ただ優しいだけではない、芯の強さを感じた。

 

 

 その後、ダイニングルームに入った時に、真作が言った。

「あ、そうそう。ねえ、アネキ、実は亜衣ってさ、『ブースター』っていう特異能力だけじゃなくて、『ヒーリング・パワー』も持ってるんだぜ」

「えっ?」

 既にテーブルには中崎夫妻や純、安男が席についていた。突然耳に入って来た会話に、全員が亜衣を注目した。

「それって、本当なのっ?」

 沙耶は亜衣に駆け寄った。

「本当よ」

 こくりと頷く亜衣。

「亜衣ちゃんっ!」

 沙耶は両手で亜衣の両手を握り締めて迫った。

「わたしに『ヒーリング・パワー』をコピーさせて! お願いっ!」

「えっ? コピーって何?」

 亜衣は面食らって目を丸くした。顔が赤くなっていた。

「わたしの特異能力は『コピー・アンド・ペースト』。他人が持っている能力を取り込んで自分で使えるようになるの。『コピペ』だから『切り取り』じゃなくて、相手の能力はそのまま残るからなくなってしまうことはないのよ」

「うそ……すごい便利な力ね……いいよ、沙耶ちゃん……あげる……」

 亜衣はまるでキスでも待つように目を閉じた。沙耶は亜衣の背中を両手で摩った。

「はい、完了」

「えっ? もう終わり?」

 亜衣は頬を染めたまま物足りなそうに嘆息した。

「一回タッチすればOKよ」

 亜衣から離れた沙耶は自分の両手を見つめている。

「おじいちゃん、肩凝りはどう?」

「ああ、まだ痛いんだ」

 清和は左手で右肩を揉んだ。沙耶が彼の両肩に手を置くと、

「おお……本当だ……しつこい肩凝りが解消されていく……」

 感動したように清和は叫んだ。

「大成功!」

 沙耶の目が涙ぐんでいた。

「ああ……なんとわたしは、『ヒーリング・パワー』を手に入れてしまった! 父と同じ力を! パパと同じ能力を……!」

 感激して沙耶は両手を握り締めて胸に押し当てた。

「あの……ねえ、沙耶ちゃん……わたしのもう一つの能力『ブースター』もコピーしていいわよ……さっきの……もう一回……して……」

 もじもじしながら亜衣が言った。

──この子……真作という彼氏がいるのに……。まさか同時に女性も大好きだという、所謂バイセクシャルというやつなのかしら……?

 沙耶は知らず知らずのうちに亜衣から身を遠ざけようとしていた。

「残念ながら、わたしの『コピー・アンド・ペースト』に限らず、人から能力を貰うのって、無制限に幾らでも能力を手に入れることができるわけじゃないのよ」

「え……?」

「ほら、パソコンにもハードディスクの容量ってあるじゃない? 容量を超えるデータをコピーすることはできない、それと同じよ。わたしの場合はあと、おじいちゃんの霊視能力を貰うつもりなんだけど、それでもういっぱいいっぱいなの」

「えー、つまんなーい……」

 亜衣は心底不満そうに唇を尖らせた。

 

 

 

 朝食の後、和歌子がこっそりと沙耶に耳打ちした。

「ねえねえ、沙耶ちゃん沙耶ちゃん、わたし昨日あの子に『一緒にお風呂に入ろう』って誘われたけど、きっぱり断った方がよさそうね」

「げっ。既に和歌子さんにまで魔手を伸ばそうとしていたなんて……末恐ろしいわね……」

 沙耶は肩を窄めた。だが、さすがは祖母と孫娘だ。和歌子も同じような印象を持ったことがわかり、気持ちが通じ合えて嬉しくもあり心強くもあった。

 

 

 

 かくして、長沢亜衣という少女の人となりが次第に明らかになっていくのであった。