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「貴士ー、充(みつる)くんから電話よー」

 とある金曜日の夕食後、母・和歌子が息子に声を掛けた。受話器を受け取った貴士は陽気に言った。

「充くん、お久し振り! お土産のビール、届いたかな?」

「ああ、こないだ宅配便で届いたから、最近は毎日ヘレスで晩酌だよ。ありがとうな、貴士」

 充くんというのは、本名・立原(たちはら)充。近所に住む『謎のお兄ちゃん』だ。貴士の子供の頃から何かにつけて声を掛けてきては遊び相手になってくれたり相談相手になってくれたりしたものだ。何故『謎の』お兄ちゃんなのかと言えば、氏素性がはっきりしないからだ。年齢、職業、過去の経歴等々、全てが謎に包まれているのだ。まあ、妻帯者だし別段奇行に走る癖(へき)があるわけでもなく、悪人ではなさそうだということで、一応近隣住民からは受け容れられているが、『謎の』という冠が外されることはない。

「ところで、貴士……」

 充は一旦言葉を切った。

「ミュンヘンで何か変わったことはなかったか?」

「うん、あったあった! オレ、フィアンセができちゃったよ! 充くんには真っ先にそれを報告したかったんだ!」

 貴士の声が一層弾む。

「なに? フィアンセ……?」

 ちょっと間を置いて、充は感慨深げに呟いた。

「……そうかい、そうかい、あの貴士坊ももうそんなお年頃かい……いやはや時の経つのは早いもんだのう……」

──やはり、『謎のお兄ちゃん』だな。見た目は若いのに、言うことはほとんどおじいさんみたいだ。

 貴士は静かに微笑んだ。

「近いうちに彼女を紹介したいから、時間作ってよ」

「うん、そうだな」

「それでそっちはどうなの? 雪絵(ゆきえ)ちゃんは元気?」

「あ? ああ、勿論……それじゃあさあ、貴士、お前たち明日の夜は暇か? 彼女と二人でウチに来いよ。軽く何か摘みながら一杯やろう。八時でいいか?」

「いいよ。それじゃあまた明日」

 

 

 

「ごめんなさい、タカシ。今まで黙ってたけど、今日これから会いに行く二人、たぶんデムヌーヤだわ」

 落ち着きのない様子でコニーが言った。

「なんだって?」

 貴士は目を見開いて彼女を見つめた。

「実はこの町に着いた時から気付いてはいたの。でも、日本にデムヌーヤがいたとしても、それはほぼ間違いなくヴィトリヒやアルマンド・アリテリオ・ガルシアの仲間ではない筈だからさほど気にする必要もないかと……」

「でも、充くんたちがデムヌーヤだって、何故わかる……ああ、そうか、共鳴反応が起きるんだっけか?」

「その通りよ。体内に宿るルボロム同士が反応し合ってお互いの存在を知覚するの。だから向こうもわたしに気付いて、それで今回接触を図ってきたのだと思うわ」

「デムヌーヤか……どうりで……」

 貴士は唸った。

「充くんって、僕が子供の頃から全然変わらないんだよ。どっちかっていうと親父の世代に近い筈なのに、見た目二十歳前後にしか見えないんだ。近所の人達の間でも謎の人物と噂されてるくらいだし……。だが、デムヌーヤだって言うなら全て辻褄が合うな」

 

 

 

   14

 

 立原家の屋敷は広大だった。高い塀に囲まれていて、中の住人がどんな暮らしをしているのか、外部から窺い知ることは困難だ。充がデムヌーヤならそれも宜なるかなと言ったところだろうか。門扉の横のインターホンを押すと、通用口が開いて立原充が出迎えた。


「なるほど」

 家の明かりが薄ぼんやりと照らす石畳を歩きながら、充はコニーをちらちらと観察していた。

「耳に『黒水晶』……ヴィトリヒの魔女、しかも『王家の娘』か……」

 彼の話す完璧なドイツ語に、コニーははっとなった。

「一瞥してそこまでわかってしまうなんて……さすがね」

「サイキの命令で来たのか?」

 かつて見たこともない充の厳しい眼差しに、貴士は著しく緊張した。

「魔女サイキがどんな奴か知ってるんでしょ? 後で喰うために子供を作るような血も涙もない悪魔よ。わたしはあいつの魔の手から逃れて来たの」

「それが本当ならば、我々は味方同士ということになるが……君の言葉を信じるならばな」

「そうね。わたしにはあなた方に信じさせる術はないわ。“心の目”で見て判断してもらうしかないかしらね」

「“心の目”か……生憎そんな便利な代物は持ってないんでな。だが、ひとまず休戦協定を結んでおこうじゃないか。平和的に話し合いをする……異存があるかね?」

「ないわ。タカシを争いに巻き込むなんて論外だもの」

「よかろう。では戦闘態勢は解除」

「戦闘態勢なんて取ってたの?」

 貴士は身震いするような仕種をして見せた。

「ところでさあ……本当のところ、充くん何歳なの?」

 貴士は日本語で尋ねた。

「一六八〇年生まれさ」

「せんろっぴゃく……えっと、五代将軍綱吉の頃だっけ?」

 目をぱちくりさせる貴士。

「ヨーロッパからアジアへ移動してきて日本に辿り着いたのが江戸幕末だ」

「まあ確かに日本まで逃げてくればサイキもアルマンドもそう容易くは追って来れないでしょうからね」

 コニーがドイツ語で口を挟んだ。自分から日本語を話すのはまだまだ片言だが、聞き取りは完璧にできるのだ。

「本当は逃げてちゃいけないんだけどな」

 充は苦い表情を浮かべた。

「掟に背いた逃亡者を処罰する役目を、俺も受け継いでいるのだから……。しかし、もう生粋のデムヌーヤは俺とピエール・ド・ベルジュしか残っていないし……ピエールと来たら音楽にしか興味のない奴だから全然協力してくれそうもないんだ。俺一人じゃ到底アルマンドにも魔女サイキにも太刀打ちなんてできやしない……はっきり言ってお手上げだよ」

「ここにもう一人いるのは地球人とのハーフ? それともルボロムを与えられた“準デムヌーヤ”?」

 コニーが質問した。

「後者だ。……ふむ……“準デムヌーヤ”か。その名称、戴きだな」

 肩を竦めてそう言った充の視線の先、玄関に若い女性が立っていた。

「いらっしゃい」

 長い黒髪の立原雪絵が貴士とコニーを等分に見比べながら挨拶した。

「キレイ……」

「あなたもね」

 二人の女性はお互いの容姿を褒め合った。

 

 

 

「コーヒーでいいかしら」

 応接間の高級そうなソファに腰を降ろした貴士とコニーに雪絵が尋ねた。

「ブラックで」

 答える二人の声がピッタリと揃ったので、雪絵はくすくす笑った。

「アレ? ワタシ、へんなコトいった?」

 コニーが首を傾げる。

「いや、別に」

 貴士も笑って頭(かぶり)を振った。

「よかったわね、貴士くん。こんな素敵な女性(ひと)に巡り合えて」

「すると雪絵は彼女を信用していいと?」

 興味深げに充は妻を見た。

「ええ、勿論。と言ってもただのカンだけど」

「お前のカンが外れたことは今までに一度もないからな……いや、それを聞いて安心したよ。いやだって、可愛い貴士坊が悪い魔女に騙されてるんじゃないかってそれだけが心配でさあ……」

 心底晴れやかな笑顔を浮かべた充は、暖かな表情でコニーを見つめ、ドイツ語で誠実に詫びた。

「悪かったね、コニー。俺は貴士のことをこんなちっちゃい頃から知ってるもんだから、過剰に警戒してしまったようだ」

「無理もないわ」

 コニーもすっかり打ち解けた笑顔になった。

「それにしてもお二人は素晴らしいわ。わたし達もこんな夫婦になりたいわね、タカシ?」

「ああ、全く」

「すまん、ここからは英語でいいか? 雪絵はドイツ語がわからないから」

 充は改まった口調になった。

「構わないよ」

 異口同音に英語で答えるコニーと貴士。

「彼女、実は吸血鬼なんだ」

 唐突に充は打ち明け話を始めた。

 

 

 

   15

 

「は? “準デムヌーヤ”っていう意味じゃなくて?」

 貴士は目を丸くした。

「ああ。ドラキュラの方の吸血鬼さ。吸血鬼の母親が妊娠して雪絵が産まれたんだ」

「そして、地球古来の吸血鬼である彼女にあなたがルボロムを分け与えたわけね」

 と、コニー。

「そう。地球の吸血鬼を生み出した呪術よりも、大昔にデムヌーヤ人をヴァンパイアに変えた呪術の方が格上なんだ。だからより強い方の呪術が効力を発揮する。ルボロムによって地球型吸血鬼の特質が打ち消されて、今の彼女はほとんど“準デムヌーヤ”であると言っていいだろう」

「ほとんどというのは?」

 貴士が問う。

「打ち消されたと言っても、特質の発現が食い止められているだけで、地球型吸血鬼の因子自体はそのまま残っているんだ。だから、人の生き血を吸えば雪絵はまたぞろ“ドラキュラ”に逆戻りだ。蝙蝠になったりできるようになる代わりに、今は無効化されている太陽の光や十字架といった吸血鬼の弱点が復活してしまうんだ」

「それで、今はどうなの、雪絵ちゃん? 吸血衝動って言うか、血への飢えや渇きって感じないの?」

 貴士は質問を続けた。

「ええ、それはないわ。わたしが最後に血を吸ったのは、充さんと出会う前の、もう三十五年以上も昔の話よ」

「昭和時代ってやつだね……雪絵ちゃん、うちのお袋より年上かも……」

 貴士は、外見上は二十歳前後にしか見えない彼女に妙な笑顔を向けた。

「でも、オレ、前から疑問に思ってたことなんだけど、人の生き血を吸って不老不死になるって、どういうシステムなんだろう? その問いにだけはゲーリング教授も答えられなかった」

「ゲーリングだって?」

 充が身を乗り出した。

「まさか『魔術師』とか呼ばれてる奴じゃないよな?」

「ええっ? 充くん知ってんの? ……あ、そうか、ドイツにもいたことがあるんだよね? ドイツ語ペラペラだし……それ、いつの話?」

「ええと……十八世紀……? 面識はなかったんだが、『魔術師』ゲーリングの噂はよく耳にしたもんさ。当時は確か五代目か六代目とか言われていたと思うが……」

「今は九代目さ。オレ実は、ミュンヘンでゲーリング教授の助手をしてたんだぜ……ヴァンパイア・ハンターの助手、『魔術師の弟子』ってね」

「ふえええ~……世界ってのは広いようで存外狭いもんだなあ……」

 充は嘆声を漏らした。

 

 

 

   16

 

「あ、それで何だっけ? 吸血鬼の不老不死についてか? うん……それはおそらく、吸血鬼伝説がキリスト教社会で生まれたことに関連するのだと思うぜ。聖書に何箇所か書かれている『血を食べてはならない』とかいう教えに反する行為だからこそ、呪術的な効力が発生するというわけだ。十字架や聖水が弱点なのもそう考えれば頷けるだろう。だって、単純に血を吸うだけなら単なる肉食だろ? それが何故不死身の化物になるのか? 神の言葉や教えに逆らっているからだ。それが悪魔的な呪いの力を増幅するんだ。デムヌーヤのヴァンパイアも同様さ。人の命を奪い取ることは重大な罪であり、そうした禁忌を犯すこと自体が呪術的儀式の執行に該当し、絶大な魔力の源泉となる。……俺達は呪いを身に纏った者たちの末裔なのさ……」

 充の声音に自嘲的な響きが篭っていた。

「呪いを解く方法はないのか……? 全ては時の解決に委ねるしかない。地球に移住した我々が地球人との間に子を生し、それを繰り返していくうちに呪われた血も薄まっていく……それが唯一の道だ。だが、それでは今こうしている俺達には救いはないのか? 生粋のデムヌーヤである俺や、共鳴作用が起こるほど大きなルボロムを持つ雪絵や、まだまだ濃い血を受け継ぐハーフのコニー……俺達は死ぬまでずうっと呪われっ放しなのか? ……残念ながら答えはイエスだ」

 雪絵とコニーは悲しげに目を伏せた。

「しかし、呪いの強さを和らげ、弱める方法ならある」

「えっ?」

 コニーは飛びつくような反応を示した。

「決して他人の生命エネルギーを奪い取ることなく、配偶者同士でエネルギーを与え合って穏やかに慎ましく生きていくことだ」

「それで呪いは弱まるの?」

「ヴァンパイアは、吸血鬼にしろデムヌーヤにしろ、血を吸えば吸うほど、生命エネルギーを吸えば吸うほど、若さと強さを手に入れることができる。即ちそれは、呪術的儀式を精力的に何度も何度も繰り返すことを意味するからだ。ならば、その儀式を行わないようにすれば呪術の効力は発動しなくなるわけだ」

「でも、さっき雪絵ちゃんは、吸血衝動は今はないって言ったけど、デムヌーヤとしての、生命エネルギーに対する飢えや渇きもなくなるのかい?」

 と、貴士。

「残念ながらそれもなくなりはしない。だからこそ、伴侶同士で与え合って飢えや渇きを凌ぐのだ。絶対に能動的には吸わない。与えてもらうだけだ」

「なるほど……ならばわたしがタカシからヒーリング・パワーを貰うというのは正しい行為と看做していいのかしら?」

「まあ、そうだろうね」

「でも、それだと、タカシがエネルギー不足になってしまうのでは?」

「あなたが自分のエネルギーをあげれば大丈夫よ、コニー」

 雪絵が優しく微笑んで言った。彼女の澄んだ瞳は本当に美しい。コニーは雪絵のことがどんどん好きになっていくのを感じた。

「それに、ヒーリング・パワーって、神様の力じゃないのか? 神様の所から齎される癒しのエネルギーだろ? 貴士の自前の生命力を搾り出すわけじゃない筈だと思うが……」

 充が付け加えた。

「うん。オレ自身も癒されるから、ヒーリング・パワーを注入して疲れたことはないね」

 貴士も頷いた。

「それを聞いて安心したわ……」

 コニーはふっと肩の力を抜いた。

「しかし、弊害もある。呪術の発動効力が抑えられるということは、当然パワーが落ちると言うことだ。パワーが増えないということだ。だから、さっきも言ったように、俺一人ではアルマンドには勝てない。体内に宿るルボロムの大きさは、生粋のデムヌーヤである俺の方が、地球人とのハーフである奴よりも大きいが、好きな時に好きなだけエネルギーを奪い取っているアルマンドの方がルボロムに蓄積されているエネルギーの総量が多いのだ。これは決定的な差異だ。はなっから勝負にならないんだ。本音を言えば、直接対決は極力避けたいところだ、情けない話だが……」

 充は唇を噛み締めた。

「実際我々もそうしてきたんだが、掟の違反者に対処する際には、必ず何人ものデムヌーヤが力を合わせて事に当たる。だから、俺と雪絵に加えて、貴士とコニーがチームに参加してくれるならひょっとしたら何とかなるかもしれない。ヴァンパイア・ハンター、『魔術師の弟子』の貴士と、ヴィトリヒの魔女、『王家の娘』のコニーが加わってくれるなら……」

「わたしに異存はないわ」

 コニーが即答する。

「タカシとの生活を守るためなら、どんな危険な戦いであってもわたしは決して顔を背けたりはしない!」

「オレが一番弱っちいけど……ただの人間だもんな……でも、及ばずながら、手伝いくらいはできそうかな……」

 貴士は自信なさそうに呟いた。