史上最悪の予告編
もし、この予告編を見ていたら、決してこの映画を見ようとはしなかったと思います。
よく、映画は予告編が最高に面白く、本編を見るとガッカリする、といわれますが、これは本当に真逆。笑ってしまうほど。
何でこんな低俗な予告をつくったんだろうとガッカリします。さすがに、マーケティングが下手な日本人です。
どんな人が見ると良いか?
仕事が好きになれずに、行き詰まりを感じている人にお奨めしたい映画です。もし、選択するチャンスがあったとしたら、
「現状にあきらめと打算」で生きていく、第一外科部長、事務長の生き方を選択するのか
堤真一が演ずる「当麻医師」に感化し、「諦めないでまっとうに生きていく」生き方を選択するのか
あなたはどちらを選択するでしょうか。
新しいチームが生まれ、チームワークを通じて、仕事に対する態度が変わっていく、そして、生活も大きく変わっていく、ひいては、人生も大きく変わっていく。
「脳死肝移植」は単なる舞台装置
この話は、手術看護婦の告白という形式で語られます。シングルマザーで、生きていくために、看護婦として職場復帰をするが、手術室への配属、すなわち一般の人の知ることのない、「密室」のなかで、「事なかれ主義」と「いい加減な技術」の「毒」に犯されて、気が滅入ってしまっている。子どもを保育園に預けているが、母親に幸福感がないので、いつも泣いてばかりの息子。状況は最悪。そんなところに、「変化」が現れる。肝心なのは、その「変化」にどう対応するか?という一点につきる。
拒絶するのか。
理解しようと、適応しようと努めるのか。
無視するのか。
人の成長やチームの成長は、この一点に掛かっている。
そして、「仕事」が良い方向に回り始めると、「生活・人生」も良い方向に動き始める。
この映画を見たら、考えてみよう、「自分は、さざなみ病院にいる誰と同じタイプなのだろうか?」と。
自分は映画中で脳死判定された高校生とほぼ同級生という事実
さて、「脳死肝移植」がこの映画のクライマックスになるのですが、そのドナーは「交通事故」で脳挫傷した高校生。そして、時は1989年。ちょうど昭和が終わり平成が始まった頃。
自分は当時高校3年生。高校2年生の剣道の寒稽古の最中に、昭和天皇陛下が崩御された。
さらに、時代はバブル景気の狂気へとはしっていく。
そんな時代がこの映画の背景にある。(あまり描き切れていないが、地域医療の前にリゾート開発だとか、ふるさと創生についてもっと取り上げられていても良い)
そんな時代の当事者としての視点から見ると、まだ「ボランティア」も一般的ではなく、亡くなった高校生に感情移入は難しい。ただ、もし彼が生きていれば同じ年としてどうだったろう?と想像することは出来る。もちろんその母親も。
日本がおかしくなった元凶もこの映画の中に見える
その後、失われた20年が始まる。その萌芽もこの映画の中に見える。興味本位のマスコミ。いや、マスゴミか。
自分にマイナスの評価がつくことを極度に恐れる人々。
仕事への責任感の欠如。
人としての誇りの消失。
そんな、壊れ始めていく日本の悪い面も十分に感じ取ることが出来る。
まっとうに生きていくことの難しさ
しかし、自分に正直に、「心に火を抱いて」生きてくことの難しさを感じる。誘惑も多い。
「目の前の患者さんの命」に向き合えば向き合うほど、「日本の組織」の論理と矛盾し対立せざるを得ない
だから、「孤高」にならざるを得ない
世間知らず、にならざるを得ない
世間の荒波をまともにかぶらざるを得ない。対峙しなくてはならない。
つらくとも、向き合わざるを得ない。
その結果どうか? それはこの映画の中で、助かる命を見殺しにした若い医師の行動で語られる。
自分自身が納得できるかどうか?
そこが大事なのだろう。