歓喜に沸いた日から、お義父さんと鬼婆は

挨拶回りに、忙しく走り回っていた。


しばらくは、鬼婆と衝突することも無かったので

私自身、何が何でも今すぐ別居したい、という考えは薄れてきていた。



季節が秋から冬へと移り、木枯らしが吹き始めたある日


義弟が血相を変えて飛び込んできた。

鬼婆の部屋に入り、何やら相談しているようだ。


1時間ほどして、義弟が帰っていったあと、

鬼婆から、衝撃的なことを聞かされた。


「えらいこっちゃ!C子が・・・(義弟お嫁さん、私にとっては義妹のこと)

蜘蛛膜下出血で入院したそうや!

死んだらどうしよう・・・て、Tは泣いとったわ」


この頃、義弟夫婦も破綻一歩寸前の関係だったが

いざ、連れ合いが死ぬかもしれないという状況になると

人は変わるものなのか?泣き崩れるとは・・・


「明日からT達、うちへ来るでな!」

(「頼むよ」の一言も無いんかい!?)



義妹は、無事手術が成功し、一命を取りとめたが予断を許さない状況。


こな先どうなるかはわからないが、

とりあえず、入院中は義弟親子がうちへ来ることになった。


義弟の子供は、小学2年生と4年生の男の子二人

食べ盛り、やんちゃ盛りの子供たちだ。


学校は、ここから車で10分ぐらいのところなので

朝は鬼婆が送って行き、そのまま出勤することになった。

下校時は、私が迎えに行くことも決まった。

このときも、鬼婆からは

「すまないね」の一言も無いのである。


自分の子供二人を乗せ、小学校へ迎えに行く。

義弟の子供たちは、校庭で友達と遊んでいて、

なかなか帰りたがらない。


「遅くなると、お婆ちゃんに叱られるから、帰ろうか」と言うと

しぶしぶ、ランドセルを背負って車に乗り込んできた。

もっと友達と遊んで居たいだろうに・・・

かわいそうだが、今は我慢してもらうしかない。


この子達のお世話を一手に任された。

はじめは、この子達が哀れに思い、

できる限り、母親代わりになってあげたいと思っていた。

しかし、私もその時3人目の子を宿し、7ヶ月目に入っていた。

正直、自分の子だけでもいっぱいいっぱいの中で

やんちゃ盛りの男の子二人と、義弟のお世話はしんどかった。


それでも、T親子の辛い現状を見ると、ほおってはおけなかった。

家族9人分の食事を作り、夕食が早いせいで

寝るまでにまたお腹を空かせている子供たちに

夜食を作って食べさせた。


食後は学校の宿題を見てやり、もらってくるプリントに目を通す。

お風呂で泥まみれになった靴を洗い、明日履いていけるように

ドライヤーで乾かした。

持ち物の点検をしてやり、何から何まで、

母親がしてくれていただろうことを、できる限りやってあげた。


誰からも、見返りを期待してやっているのではないが

私がしていることを見ている鬼婆から、

一言もねぎらいの言葉が出てこないことには、腹が立った。



1ヶ月ほど、こんな生活が続いたある日、

過労がピークに達し、ついに鬼婆にある提案をすることにした。



この提案が、おぼっちゃまくんと義弟の間に

思わぬ亀裂を生むことになろうとは・・・