3月の半ば、所用で出かけた羽曳野市。
地図でみたら 前方後円墳が結構あります。
![FullSizeRender.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160313/23/0nce-upon-a-t1me/62/3c/j/t02200293_0240032013591605117.jpg?caw=800)
でも、横を通っただけでは、どこが円なのか
白鳥陵 ハクチョウリョウ
…という。
ヤマトタケルの魂は、
「羽を曳くようにして埴生野(はにゅうの)を越えて百舌鳥(もず)の方へ飛び立った」
「羽を曳くようにして埴生野(はにゅうの)を越えて百舌鳥(もず)の方へ飛び立った」
上から 見たら
墳丘規模は墳丘長200m、後円部直径106m、前方部幅165mを測ります。前方部の幅が後円部の直径を上回ること、高さは前方部が3m高いなどの特徴があります。くびれ部北側には造出しをもち、周りには幅30から50mの周濠が巡っています。現在周濠に水を湛えており静寂な雰囲気を醸(かも)しだしています。
日本書紀などによると「日本武尊は遠征の帰り道、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり白鳥となって大和琴弾原(ことひきはら)を経由して古市に飛来し、また埴生野の空を向かって羽を曳くように飛び去った」と伝えられ、本市の名前の由来となっている古墳です。
日本書紀などによると「日本武尊は遠征の帰り道、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり白鳥となって大和琴弾原(ことひきはら)を経由して古市に飛来し、また埴生野の空を向かって羽を曳くように飛び去った」と伝えられ、本市の名前の由来となっている古墳です。