南方熊楠は、大学予備門(今の東京大学)をあっさりドロップアウトして、まわりの反対を押し切って、アメリカに渡った。
空海も、都の大学、中央の役人を養成する大学をドロップアウトして、私度僧になる。
当時、私度僧は、乞食のあつかいだ。
本当の天才には、学校という枠はいらない。
もし自分の子供が、東大法学部に入り、将来、霞が関の中央官庁で国を背負うことが約束されているのに、途中でやめて、ニートに・・・
…そして、ある日。
子「パパ、僕、留学したいんだけど・・・」
親「おおやっと、やる気になったんか。
どこに?どれくらい?」
子「唐に、20年」
親「20年!?・・・無理。
どんだけ 教育ローン組まなあかんねん
長安? どんだけ生活費がかかるん?
しかも帰ってくるころには、
俺、死んでるかも」
当時、長安とローマは、シルクロードのスタートとゴール
世界トップの都市、物価が高いのか安いのか。
同じ遣唐使でも、最澄はすべて国費がでている。
それに対して、空海は自分で調達しなくてはならない。
しかも、20年間勉強してきなさい、というのが遣唐使の私費の留学生だったらしい。
(でも、3年間で帰国する)
空海は、何年も前から計画を立てて、遣唐使に応募したのではない。
正式な僧の資格を取得しなくてはならず、短期間で、莫大な費用を集めた。
そのことについて、司馬遼太郎氏は、つぎのように言う。
(『空海の風景』司馬遼太郎:中公文庫)
以下、司馬遼太郎の『空海の風景』より
「・・・・空海がいかに多額な財宝を用意していたかについては、入唐後のその行動をみても察しがつく。
たとえばのちに、かれは長安を去るにあたって、世話になった青竜寺、大興善寺などの僧五百人を招待し、盛大に宴会をひらいているのである。よほどの経費に相違ない。そういう経費よりもさらに大きいのは、長安で密具をつくらせたことであろう。密教は宇宙の内奥と交信する世界であるがために、多種類の法具が必要であった。それらをことごとく長安でつくらせたことは、なまやさしい入費ではなかった。各種の曼荼羅の絵を描かせることも容易な経費ではなく、しかも空海はそれらを並な画工に描かせず、李真などといったような長安第一等の絵師に描かせているのである。ぼう大な経巻や書物を買い入れる経費も、大変であった。おそらくこれがもっとも大きな入費になったであろう。・・・・」
どうやって、どこから集めたのだろう???
さらに、『空海の風景』では
「讃岐佐伯氏と交通のある四国の諸豪族も、金銀をさし出したにちがいなかった。律令時代の四国の富裕さを考えてみると、その額は小さなものでなかったであろう。さらに空海が真言密教を確立したのち、四国に多数の寺をたてたのは、出発前に寄進してくれた諸豪族に対しそのような形で還元したということも想像できる。」
その四国のスポンサーへの御返し・・・・
「満濃池修築工事」
国家の事業として取り組んだ。
「四国八十八箇所巡礼」
お遍路さんは、八十八箇所を巡りながら、泊まり、食べ・・・まんべんなく四国四県にお金を落としていく、これほど息の長い「産業」があるだろうか。
四国への経済効果はすごい。
空海が残した偉大なる遺産だ。
さて、現在の日本・・・
ここ数年、日本からの留学は減少している、という。
日本の若者たちよ
もっと海外に飛び出そう!!
「Boys,Be Ambitious!!」
(少年よ、大志を抱け)
by ウィリアム・スミス・クラーク
「Bonze,Be Ambitious!!」
(坊主よ、大志を抱け)
by 三日坊主
・・・結局、↑これを言いたかったの?
長すぎるわ ヽ( )`ε´( )ノ
....と、ワイフ
司馬さん、空海さん、熊楠さん
ごめんなさい・・・合掌(;^_^A