制限を楽しんでいるとしか思えない件 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

何かが欠けていると見せ掛けて、実はそれを楽しんでいる自分が居ます。

稲田の場合はお金と女性です。

制限された状態を維持して、それについてあれこれ頭を働かせる事が好きだとしか思えません。

完全に不要だと言えば嘘になるし、「本気で欲しいのか?」と言っても何だか微妙。

「それらについての制限を味わう為に、それらが必要だ」と言えば、これが今のところ一番正直な気持ちに近いのであります。

もし、「制限を味わう事が好きだから」という理由でそうなのだとしたら、流石にもうお手上げです。

根拠の無い「好き」は、幾ら原因を自分の中に求めても、「好きだから」で完結してしまうからです。

従って、稲田に有効なアファメーションやイメージングは、通常とは真逆になります。

試しにやってみたのですが、やはり完全な自由を望むよりも、ある程度の制限(完全な制限は駄目だった)を望んだ方がしっくり来ました。

「お金にも異性にも自由であるべきだ」という事ですら他者の価値観だったのか。

あるいは、その自由は持つ自由だけではなく持たない自由も含まれていて、たまたま自分は持たない自由を望んだのか。

…うーん、これからどうしよう。

もっと制限を味わう為の工夫を凝らそうか、さらに奥に秘めた真の願いを探ろうか。

制限を味わう事が解っているなら、手に入れようが入れまいが同じ。

ならば思い切って手に入れる為の行動に出ようか。

どうせ手放す事になるのだから、何がどうなろうが大して怖くもない。

まあ、あれです。

ゲームをやっていて、「如何にこの場面を攻略するか?」と考えている様なものです。

ゲームにおいて一番楽しいと思えるのは難所をクリアした時ではなく、難所を攻略すべく考え、工夫し、努力している時なのです。

稲田はチンタラと遠回りしたり、時間を掛けて引き延ばしたり、しばらく放り投げて別のゲームで遊んだりする事が良くあります。

現実にもその性格が顕れ、やるべき事を後回しにしたせいで余計な面倒を被る事もしばしばです。

引き寄せの法則における現象化とは、世間の価値観で都合が良いと思われる事を指す場合が多いですが、稲田は今の状況を現象化体験談として載せたいと思います。

もう仕方ない。

現象化している事が事実なのですから。