「それは不可能だ!」と言う判断をする場合、それは例外なく過去を判断材料にしています。
未来を見ているつもりが、本当に見ているのは過去なので、これから訪れるであろう未来にも、かつて訪れた過去が再び繰り返される事でしょう。
…と言う事は、過去に焦点を合わせなければ不可能と言う概念が生まれないと言う事です。
不可能と言う概念が消えると可能と言う概念が消えるので、「可能であるとも不可能であるとも言えない」と表現した方がより正確かも知れません。
ナポレオンの有名な言葉に「余の辞書に不可能は無い」と言うのがありますが、稲田はさらに「故に余の辞書に可能もない」を付け加えておきます。
出来ない事は何も無いが、出来る事も何も無い…と言う訳です。
「潜在意識にしてみれば、1億円を稼ぐのも100円を稼ぐのも同じである」…こう言う表現を聞いた事がある方も居らっしゃるでしょう。
そうでない方もこの表現を初めて聞いた場合、おそらくは次のような事を瞬時に考える事だろうと思います。
「そんな訳はない。どう考えても100円稼ぐより1億稼ぐ方が圧倒的に困難だ」…と。
しかし、「え?それじゃあ1億円を稼ぐのと同じくらい困難な事を、今まで簡単だと思ってやっていたのか?」…こう思った人はそうそう居ないんじゃないでしょうか?
「1億円も100円も難易度は同じ」は、「1億円を得るのも100円を得るのも簡単」と言う意味と、「1億円を得るのも100円を得るのも困難」と言う意味の両方を含みます。
貴方の財布に100円玉が入っているならば、貴方は1億円を得るのと同じくらい困難な事をやってのけております。
貴方の口座に1億円が入っているならば、貴方は100円を得るのと同じくらい簡単な事をやったに過ぎません。
そして、この「やっている」のは真我であって、エゴではありません。
真我視点の『可能性』はエゴ視点の『可能性』とは全く異なります。
「何でも可能です!」と言う人に対して「ならお前、今すぐ○○をやってみせろ!」と迫るのはズレています。
『可能』と言う言葉が指している次元が違うのです。
「何でも可能です!」の『可能』とは過去に基づく『可能』ではなく、「今ここ」に基づく『可能』なのです。
貴方が過去に焦点が合っていない時、貴方に不可能な事は何もありません。