行動に移せない理由 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

スピリチュアル的な表現で例えるなら「許可する」と言ったところですが、その前に禁止しているのは誰で許可しているのは誰かと言う事です。

あらゆる行為は意図に基づきますが、意図…つまりGOサインを出しているのは何度も書いて来ました通り、エゴではない方の自分(以下真我と表記)であります。

つまり、許可しているのは真我です。

そして、真我のGOサインを遮ろうとしているのはエゴです。

真我は禁止と言う概念がなく、許可する事しか出来ない一方で、エゴは禁止する事が主な役割と言っても過言ではありません。

故に、エゴが「それをやったらダメだ!」と言う制限を己に課す事も、真我は許可します。

この場合、己に制限を課すと言う意図が起こります。

意図と願望実現は同義です。

引き寄せの法則的に言えば、「制限されると言う願望(意図)が立派に実現しているでしょ?」と言う事になります。

これはこれで完璧に正しいのですが、求めるのはそんな屁理屈(エゴ視点から見れば)ではないはずです。

…で、本心を悟ったにも関わらずそれが実践に移せない理由ですが、これはエゴと真我両方の視点から考えられます。

①エゴが真我の意図を塞いでいる

②真我のGOサインが出ていない

①エゴが真我の意図を「禁止している」場合です。

「都合の良い結果を出す事を気にし過ぎるあまりに躊躇してしまう」パターンが多いと思われます。

②は「それをやりたい事はわかっているが、そのタイミングでない事もわかっている」状態です。

この状態は焦りも不安もありません。

何故ならば、やりたい事が間違いなく実現する過程に入っているからです。

現実世界の時間軸の「今ここ」では現象化していないが、「いつかあそこ」で現象化される事を知っている状態…と言えましょう。

ニュアンスとしては「今日は買い物に行かないが、近いうちに行く事になるだろう」と言った感じでしょうか?

許可する権限を持つのは真我です。

エゴがいくら「許可します!」と叫んだところで、エゴにはその権限がありません。

スピリチュアルで言う「許可する」が指す意味は、「エゴは引っ込んでなさい!」と言う事です。

禁止する者(エゴ)が居なくなれば、許可する者(真我)しか残りません。

こうなれば、真我は自由に次々と意図を起こすでしょう。

真我は本当の自分と呼ばれるように、真我の意図に基づく行為は本当の満足を生み出し、本当の自由を感じる事が出来ます。

全ての人は間違いなく、今までやりたい事をやって来ましたし、願望の実現も繰り返して来ましたし、今も実現の真っ最中です。

それに対して満足も自由も感じられないとすれば、それは「無意識」だからではないでしょうか?

意識的に「やりたい事をやっている事」を知り、「願望が実現している事」を体験し、今も実現の真っ最中である事を認識出来るとしたならどうでしょう。

その為には「エゴを見抜く事」と意識的に「今ここに在る事」が不可欠だろうと思います。

ただし、これはあくまで「意識的な願望実現を体験する」と言う前提の話です。

「無意識であろうが願望が実現するならそれで良い」と思えるならば、「エゴを見抜く」必要も「今ここに在る」も必要ありません。