全ては意識という部屋の中に在る | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

7日の記事で、「2ちゃんねるはエゴの巣窟だ!」と書きました。

これを読み、「そう判断してるのはお前のエゴだろう!」と突っ込みを入れたくなった方も居らっしゃる事でしょう。

それは事実です。

「2ちゃんねるにエゴが在る」のではありません。

「稲田利弥にエゴが在る」のです。

稲田利弥がエゴという色眼鏡を通して2ちゃんねるを見るから、2ちゃんねるはエゴだらけに映るわけです。

エゴのみならず、全ては外側ではなくて内側に在ります。

内側とは、意識の中です。

眼球が眼球を直接見る事が出来ないように、意識の中を直接見る事は出来ません。

しかし、目が見えるという事実を以て眼球の存在を知る事が出来るように、外側に対する反応を以て意識の中を知る事が出来ます。

もしこの稲田利弥が「2ちゃんねるはエゴの巣窟だ!」で終わっていたらどうなるでしょうか?

これは「2ちゃんねると言う外側にエゴが在る」と解釈していると言う事です。

「求めるものは外側に在る」という論法と同じです。

こうなると、幸せや安心も外側に見出す事になります。

…スピリチュアルの教えはこうでしたでしょうか?

外側に向きがちな関心を内側に向ける癖を付ける事です。

いずれ「全ては自身の中だけに在った事」に気付くでしょう。

そうです。

エゴが在るのは世界にこの稲田利弥ただ一人です。

稲田利弥以外にエゴは在りません。

稲田利弥が他人にエゴを見出す時は、「稲田利弥がエゴという色眼鏡でその人を見ている」と言う事に他なりません。

つまり、稲田利弥以外の全ての人は完全に「今に在り」、悟っております。

今に不在で悟ってないのはこの稲田利弥ただ一人だけです。