この日は後悔してもしきれない日となります。。。


2月28日

0時台

寝ていた息子が「何も見えないから電気つけてー!」と言うのでリビングの電気をつけた。

(よくあることで、閉めてある引き戸の隙間からリビングの明かりが入るぐらいの明るさじゃないと寝られない)

既に目が見えにくいとか異変があったのかも…


1時過ぎ

息子が起きる。

冷たいお水飲む?と聞くと飲むというので一緒に起き上がった。

トイレも行ったら?と言って歩いて連れて行き、ソファでコップに入れたお水を飲ませて、水筒にも冷たい水と氷を用意して寝室に。

熱を測ったら39℃台。

熱も上がってきたし保育園でインフル流行ってるからインフルかな…また翌日朝一の小児科の予約をしなければ…と、予約開始時間の朝4時に目覚ましをかけました。

冷えピタは既に貼っていて、少しでも身体を冷やそうと冷凍庫に入れていたネッククーラーと氷枕も追加。

そうして横になってしばらくすると、初めての熱性痙攣が起こりました。

大丈夫だよ、と声をかけながら動画を撮り、1分ぐらいで終わって、そのまま寝た。

今思うと寝たのではなくて意識を失ったのかも…


当時もっていた熱性痙攣の知識としては

・5分以上続いたら救急車

・単発ではなく、複数回痙攣が起こったら救急車

・左右非対称だったら救急車


当てはまらないので様子見したのが本当にだめだった。

この1回目で救急車が呼べていたら、後遺症も違っていたかもしれません。


ここから私、朝までほぼ寝ずに熱性痙攣について検索していました。



2時台と3時台

息子が自分で起き上がって水筒のお水を自分で飲み、すぐ寝ていた。


4時

朝一すぐに小児科に連れて行こう、と、予定通り予約を入れた。


5時

また熱性痙攣。

3分半続きました。痙攣が終わってからずっと息子は泣き続けていました。

夫を起こし、息子をみてもらっている間に迷わず119番をし、救急車が来るまでの数分の間に自分が着替えて息子の保険証、着替えや靴、上着などをとにかく集めてプールバッグに入れました。


救急車が到着し、私が同乗。
二次救急の病院を2つ言われて、どちらもかかったことがなかった病院だったけど小児科がこちらの方が大きいから、という理由で搬送先が決まりました。
夫は車で追いかけることに。

救急車の中でも息子はずっと泣いていて、手を繋ぎながらママだよ、と言い続けたけどわかっていなかったかもしれません。
途中で泣かなくなったのは意識が朦朧としていたのかもしれません。どれだけつらかっただろうか。

病院に到着。
そこで聞かされたのは、救急車搬送時は体温43℃だったとのこと。
赤ちゃんの頃から風邪や感染症のたびに高熱をよく出す子で、41℃はよく見ていたので39℃とか40℃でも全く動じないようになっていて、もう私の感覚が麻痺していたのかもしれません。
それでも43℃は見たことなく…体温をちゃんとこまめに測っていれば。

インフルやコロナの検査をしたところ、インフルB陽性でした。
「おはなのけんさ4かいもやった!!」と怒っていました。
ここでも起きたり寝たり。インフルBの治療の点滴や、痙攣をおさえる座薬を入れたからか、うんちを漏らす。
痙攣の初発が6歳と遅かったのもあり、念の為2〜3日入院となりました。
(あとから気付いたけど2歳ぐらいのときもあった。でも当時小児科で動画を見せたらこれは泣いてるけど意識もしっかりしてるし、熱性痙攣ではなくてシバリングだと言われたと思います)

ここで「ぼくの靴履いて帰る」と話してくれたのを最後に、今日まで私は息子の声を聞いていません。

面会は12時からということ・入院準備も必要だったことから息子を預けて夫と私で一旦帰宅しました。この時点で朝8時台。

自宅で夫が仕事の引き継ぎをしたり私が息子の入院グッズを用意したりして、病院に向かいました。
まだ面会時間になっていなかったため病院横のモールの書店で、息子が入院中寂しくないようにとドリルや絵本を買い込んで12時過ぎに病院に到着。

1人しか面会できないため、夫と交互に息子といることに。
先に私が病室に行ったのですが、息子は目を開けてベッドでゴロゴロするも話しかけても反応なし、看護師さんが「ママきてるよ〜」と声をかけても反応なしでした。

熱性痙攣で疲れて寝ている、半日ぐらいで起きてくるが、起きない場合別の病気の可能性がある、と言われ、初回の痙攣から半日が経とうとしていた頃でかなり不安になってきました。

おかしいのでちゃんと検査してください。
なぜその一言が言えなかったのかな…